深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

1年の締めくくりというか、1年の始まりというか、また見たキミの夢について

夢を見ている男性

 「お義父さんの中学生や高校生の頃の写真ぜひ見たいですね」
と、娘と先月入籍したばかりのある意味ピッカピッカの娘婿が、大晦日のご馳走をたらふく食べて飲んだ赤い顔で言った。
 本気なのか話の流れからの義理なのかはわからない。だけど、そう言われて、「よし、見せてやる」と、一滴も飲んでないぼくの方が意気込んだ。なんて言うんだろう、「ぼくにだってキミよりずっと若かったころがあるんだぞ」というか、「髪の毛ふさふさのぼくを見てごらん」というか、なんだか対抗心がメラメラと燃えてしまった気がする。  別に結婚を祝福していないわけではないし、娘婿が気に入らないわけでもない。でも心の隅に負けたくないという気持ちはあった。勝ったからと言って娘を返せとかそういう問題でもないんだけれど、そういった複雑なぼくの父としての心境についてはまた別の機会に書くとする。

 またしても脱線した話の方が長くなりそうなので本筋にもどろう。
 ぼくは、自室で埃をかぶっていた中学校と高校の卒業アルバムを新しくできた息子に差し出した。
 卒業アルバムっていうのは、最初の方に卒業生全員が写っている見開きページがある。ぼくは意地悪く「どれがぼくかわかるかい?」とそのページを広げてみた。ぼくが卒業した中学がいくら田舎の新設中学校といえど、生徒数は男女合わせて200人ほどはいた。だから、見開きページのこっち側の後部にいると、捜索範囲を4分の1に絞ってやるという親切心を発揮した。
 だが、「見たい」と自分から言い出した割には早々とぼくを見つけることをあきらめた娘婿は、「わかる?」と娘にアルバムを手渡した。なんて小狡いやつだ。
 「これじゃない?」
と、娘はアルバムの上に視線を一度流しただけでひとりを指さした。
 そのあまりの速さに、娘婿は飲みかけたワイングラスを飲まずに置いた。
 ぼく自身もそんなに素早くは見つからないと思っていたし、内心やれやれこれははずしたなとまで思っていた。が、それはまさしくぼくだった。
 同級生たちと赤茶色のグランドに並び、校舎の屋上にあるはずのカメラのレンズを見上げるぼくがいた。俯瞰するように上から撮られているのでわかりづらいけれど、カッコつけて学生ズボンのポケットに両手をつっこんでいるのがぼくにはわかる。

 「えっ?これは違うでしょ」
と言った娘婿の「違う」の意味はつづいて出てきた、
「これだったらお義父さんモテモテでしょ」
のひとことでわかった。
 えらく見くびられたものだ。ぼくにだって髪の毛ふさふさで邪魔だとすら思えた時期があるし、誰も信じないだろうけど、中学生のぼくは人生最大最高のモテ期まっただなかだったんだ。
 しかし、失礼な娘婿だ。ちょっとそんな気がしてきた。娘が即答だったからその分を差し引いて、今回は大目に見ることにしよう。

 早い時間からはじまった紅白歌合戦にボツボツと飽きてきたころ、ぼくは他の家族には知られないようにアルバムのそのページをめくった。もちろん、そこに誰がいるのかをぼくは知っている。というか、その誰かがいるからぼくはそのページをめくるのだ。わかりきった話だ。
 キミの可愛さを微塵も切り取れていない、なんだか眩しそうにしているキミの個人写真。何度見ても、この歳になって見ても、ガッカリしてしまう。だってほんとうのキミはこの写真の数千倍………。いや、でもこれでぼくには十分なんだ。写真からもわかるキミの色白さや、キミの顔に散らばった薄い黒子の数々が、どんどんとぼくの記憶をひっくり返していく。そして、つないだキミのひんやりとした指先の感触が、ぼくの脳に突き刺さるようによみがえる。

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 またキミの夢を見た。そりゃ見るよね。卒業アルバムなんて持ち出してあれこれと娘婿に語って聞かせたんだから。キミのことまでは話してないけど。
 帰りに立ち寄った駅前の本屋で、本を物色しているキミの後ろ姿をぼくは見つけた。夢のなかで見慣れたいつものキミの後ろ姿だ。キミは店内をとてもゆっくりと歩き、棚から本を抜き出してはパラパラとページをめくってまた棚に戻すという動作を繰り返した。ときおり、キミの横顔が見えた。
 けれどキミはぼくに気づかないし、ぼくの口から言葉が発せられることもない。いつもの夢だ。今回の夢は横顔が見れただけでも幸運だ。しかもこんなに近くでキミを感じられるなんて。
 棚のない正方形の平台に作られた『今月の新刊コーナー』の文庫本にキミが手をのばしたとき、反対の辺にあたる、つまりはキミの正面にぼくは立った。キミの姿がもっとよく見えるように。おかげで久しぶりにキミのつむじが見えてぼくは吹き出しそうになった。
 平積みに丁寧に戻した本から指先が離れた瞬間、キミの動きが止まった。さすがにぼくの視線に気づいたんだろうか? それとも今日の夢はここで終わるって意味なのかもしれない。

 キミが前屈みの姿勢を戻すと、ぼくの正面にキミの顔があった。ずっと見たかったキミの顔。こんなに近くで真正面から見られるなんて。一瞬キョトンとした表情を浮かべたあと、ぼくだってことに気づいたキミは顔いっぱいに笑みを広げた。
 (「えっ?そんなに喜んでくれるの?」)声には出してないけれど、夢のなかですらキミの反応が心配で仕方がなかったぼくは、安堵のあまり涙声になっていないかさらに心配になる。
 「いつから見てたん?」
と、キミが尋ねた。
 色白い頬をかすかに染めながら。まぎれもなくキミの声で。
 「見てやんと早よ声かけぇな」
と、言葉の強さとは裏腹に満面の笑みを浮かべて、照れたキミの頬がさらに赤くなる。

 「うん? ちょっと前から」
 夢のなかのぼくはなんでもないように答える。その夢を見ているぼくはこんなにもはしゃいでいるというのに。
 「うん?」
と、キミが小首をかしげる
 「帰る?」
と、ぼくが問い返す。
 「いいの?」
と、キミは書店のなかに視線をさまよわせたあと、また尋ねる。
 「いいよ」
と、ぼくは言う。
 幼馴染みのぼくたちは比較的家も近くて帰る方向が同じだったから、「帰る」とは一緒に帰ると言うことだった。
 それぞれの位置から書店の出口にむかって歩き出したぼくらの肩がちょうど触れそうになったとき(夢を見ているぼくのなかでは、すでにキミの肩の感触がよみがえっていた)、ぼくは目を覚ました。

 ん? 頭がまだはっきりしていないというのに、自分の顔がニヤけているのだけははっきりとわかった。キミの夢を見たおかげで。
 しかも、ついにキミがしゃべったし、キミがぼくを認識した。夢とは言え、この数十年ありえなかった展開にぼくは混乱し、少しずつその夢を解釈しようと試みる。

 夢のなかのキミはあまりにも生々しくあの頃のキミだった。そのせいなのか、あの頃のぼくのなかにあったキミへの想いまでもが、じわじわとぼくのなかで大きくふくらみ、なんだかぼくはうれしいのに切なさまでも通り越して悲しくなる。

 不甲斐ない自分から目をそらすために見上げた空。
 キミをがっかりさせたぼくのみすぼらしい言葉たち。
 キミが最後についた長いため息。

 おかしいな。夢のなかとは言え、初めてキミをこんなにも近くで見て声まで聞けたというのに。さっきまでのうれしさはどこへ行ったんだろう?
 申し訳なさがじょじょにこれ以上ないくらい拡大され、それを打ち消すようにキミの笑顔が思い出され、その笑顔に対してまた申し訳なくなって、さらにまたキミが笑う。60歳を迎えようかという年の元旦の朝に、ぼくはいったいなにをしているんだろう?
 ボソボソと人の声が聞こえた。なにを話しているのかはわからないけれど、階下で寝ていた娘夫婦のようだ。
 布団をかぶったまま大きな伸びをして、室内に漂う冬の冷えた空気を吸い込んでみる。時間をかけてゆっくりと。脳に新鮮な酸素が注ぎ込まれる。仕上げに顔を手でこすり、最後の眠気を振り払う。
 自室を出て階段を降りると、同じく部屋から出てきた娘に出くわした。化粧をしていない、見間違うことのない昔のままの顔をしている娘だ。
 「おはよう」
と、こちらから声をかけた。
 「おはよう」
と、返しながら、娘の表情が怪訝そうだ。
 「ん?」
 「顔がニヤけてるよ」
と、図星されて一瞬動きが止まった。その隙を見逃さずに娘がぼくより前に出ようとするのを体でブロックする。
 「いいや、いつもこんな顔だよ」
と後ろに向かって答えながら、狭い廊下を突き進む。こうなったらぼくの勝ちだ。負けを確信した娘のパンチが、ぼくの肩や脇腹に見舞われる。
 ドアを開けてトイレにすべり込んだぼくは、
 「よし」
と、控えめな勝利の雄叫びをあげた。
 ドアの向こう側で、娘がゲラゲラと声をあげて笑い、便座に座ったあられもない格好でぼくも笑った。