また私のことをネタにしてる。
キミはそう言って怒るだろうか。
確かに、このブログにキミがかつぎだされる頻度が高いのはわかってるし、内心すまないとも思っている。ほんとに。
でもいたしかたない。適当にあきらめてくれ。
僕はまだキミの誕生日を忘れていない。僕の誕生日とぴったり10日しか違ってないのだから、忘れる方がよっぽどだとキミはあきれるだろうか。ちなみに、キミの家の固定電話の番号は忘れてしまったかもしれない。僕の実家の固定電話の番号すら忘れている人間からすれば、それはそれで当然のような気がする。キミは知らないだろうけれど、僕は親父に満を持して勘当されはや20年、実の家族とは疎遠な生活を送っている。どうでもいい話だけれど。
毎年、僕はこの日がくるたびに、あぁ、今日はキミの誕生日だと、この世のどこかにいるであろうキミのことを思い、(いや、ほんとうにキミはこの世にいるのだろうかと心配し)、どこかで笑って誕生日を迎えていてほしいと心の底から願いながら、その特別な一日をすごしている。そう、あれから30年以上がすぎたというのに。実の母の命日さえ覚えてない薄情な人間が、毎年毎年キミの誕生日だけは覚えていてしっかりと今もキミの幸せを祈っている。
ほんとになんてことなんだろう。われながら自分のいびつさというか、実の家族への薄情さとキミへの執着に驚くばかりだ。
執着といっても、僕はその後のキミの消息も、さっきも言ったようにキミがいまこの世にいるのかさえ知らない。そういう意味では、僕のいう執着は、キミがこの世にいてもいなくても関係のない執着であり、それを執着と認定していいのか僕にもわからない。
僕はキミがこの世のどこかで今年も誕生日を無事に迎え、たくさんの人々からあたたかい祝福を受けて幸せであることを真剣に願っている。それはまぎれもない。ただ、僕にはそれを確認するすべがない。もしくは、それを確認しようという執着はない。
さて、今日の本題にすすもう。
こんな日に(キミの誕生日に)、僕はキミと行った直指庵の記事を見つけた。別に、こんな日だからといって、キミとの思い出をネットで探していたわけではない。
僕が検索していたのは、鯖寿司だった。厳密にいうと、お客様からいただいた柿の葉寿司の値段を検索したのが発端だった。柿の葉寿司からいづうの鯖寿司に移ったら、おすすめ記事に直指庵がでてきた。あまりにも唐突で僕は驚いた。直指庵のことは忘れていたわけではないけれど、その文字を目にして僕は一瞬固まった。なにかが確実に僕をとらえてはなさなかった。
仕方なくとしか言いようがないのだけれど、僕はその記事のリンクをクリックした。もうあとには引き返せないとうすうす気がつきながら。
記事は直指庵を訪ねた簡単な旅行記みたいなものだった。大覚寺の横の大沢池からせまい道をたどって庵へと進んでいく連続写真を見ながら、すこしずつ開かれた記憶の蓋からあふれでる断片に僕ははやくも息苦しくなっていた。そこにあの日の僕らが写っているわけでもないのに。どんな目的で僕らが直指庵を目指したかを、その記事が明らかにするはずもないのに。
紅葉も静寂も美しい!京都観光の穴場「直指庵」~旅のノートに恋の抒情詩
17歳の冬だったろうか? それとも年が明けて春になって訪ねたんだろうか? キミへの執着といいながら肝心なことは覚えてなくて曖昧で自分でもいやになる。
キミから届いた手紙の一節を僕は覚えている。けれど、いまでもやはりここに書きたくない。書けない。
記事に書かれた、直指庵の思い出草ノートの説明文を読んで僕の胸はさらに苦しくなる。
「そっと その意地を 私に 捨てて ください。苦しむ あなたを 見ているのが つらいのです」
あの日、僕はキミがそのノートになにかを書いているあいだ、庵の外でじっと待っていた。なにもできない自分に苛立ちながらも、キミの心が少しでも軽くなればと思いながら。
いつのことだったろう?
『わたし、11月はきらい』
無造作に投げ捨てるようにキミが吐いた言葉にハッとして顔を見た。
世界中の11月が永遠になくなってしまえばいいのにと、僕は思いながらも言葉にはしなかった。そんなことを言えば、
「あなたはいつもできもしないことを言う」
と、真実をつかれそうで怖かったから。
阪急電車のガランとした車内のなかで、僕らは言い争いをはじめてしまった。なにがきっかけだったのかは忘れた。
「あなたにその話をするんじゃなかった」
と、キミが横を向いた瞬間、僕は、
「しまった!」
と、思ったけれど、もうどうしようもなかった。
キミはすでにその言葉を口から出してしまっていたし、その言葉をもう一度キミの口のなかに押し戻してなにもかもなかったことにする技量など、僕にあるはずもなかった。そんな技量があるなら、そもそもキミがそんな言葉を吐き出す必要もなかったはずなのだから。
僕は、頼ってきてくれたキミを守れなかったどころか、さらに傷つけてしまったのだ。自分の不甲斐なさに呆然とする僕と、そんな僕を見つめるキミ。
「違うんだ」
せめてそう抵抗したいのに、僕の喉は己の無力からくる敗北感にしめつけられて言葉を発することができない。僕の頭のなかで、胸のなかで、心のなかで、キミへの思いがこんなにも渦巻いているというのに。ただただ僕はキミに不用意な自分勝手な言葉を投げつけることしかできなかった。黙っていればいいのに。
いつか二人が離れ離れになっても、それぞれに年老いてそれなりに人生が終わって落ち着いたとき、日当たりのいい縁側に座ってぼんやりと茶飲み話ができたらいいなって話をしたと思う。キミは覚えてないだろうけれど。
来年、僕らは還暦を迎える。あと1年生きつづけられれば。茶飲み話をするほどの年齢ではないけど、大きな節目ではあるんだろうな。赤いちゃんちゃんこは正直着たくないけど、いい大人なんだからおとなしく着るべきなんだろうな、まわりの家族の気持ちを考えても。
「なにが言いたいの?」
とは、尋ねてくれなくていい。
ただ、キミを思い出していただけだ。それだけでいい。
【追 伸】
どうでもいいことだけれど、実にうん10年ぶりに直指庵に行ってきた。あんなに遠かったっけ? JRの嵯峨駅を利用したから、阪急の嵐山駅からだったらさらに遠くて息も絶え絶えだったかもしれない。そりゃ、「デートやなくて遠足や」って怒られるし、ヒールなんて履いてられないし、デートのたびに足にできるマメ用に絆創膏がいるよな。
どこもそうなんだけど、なにもなかったところに家がたくさん建っていて、昔のままといった風情ではなかった。庵のすぐ近くにまで大きなお宅ができていて、庵の変わらなさのせいか、庵が質素を通りすぎてみすぼらしくさえ見えた。でも、ちゃんと直指庵はあった。
そして、僕らと同年齢くらいの夫婦がひと組いて、一人でこんな嵐山のハズレまで来ている変わり者の初老の男を不思議そうにというか、不審そうに眺めていた。僕としてはまったくの一人よりは、やさしくしてくれそうにない夫婦ひと組でもいてくれたおかげで、なんだか救われた気がする。
で、もちろん、こんなくだらないことを未練たらしくうじうじと書いていることに対してあやまっておこう。
ごめん。僕はあいかわらず僕です。
さらなる追伸
この原稿の下書きを書いたのは3年前の2019年だったので、ほんとに直指庵を訪ねたのはその年の12月だった。