深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

またしてもキミの夢を見る不思議について

 32年経った今もキミの夢を見る不思議について(下書き)という記事をアップしたのが、かれこれ8ヶ月前のことだった。ということは、8ヶ月ぶりに僕はまたキミの夢を見たということだ。

そんな報告をブログでしなければならない義務はないし、「キミ」がこのブログを読んでるという確信もうぬぼれもないけれど、なぜだかキミの夢を見るたびに、僕はなにかを書きたくなる。それもまた不思議なもんだ。

 そして、ひとつキミの夢を見るにあたっての傾向というか、夢の内容のパターンが気になりだしている。どれくらい前からかは定かでないけれど、ここ数年かここ数回は同じようなパターンの夢を見ている気がする。夢見が悪いというか、複雑な心境というか、ある種のしこりのようなものを胸に抱えて、僕は目覚める。勿論のこと、この目覚めの悪さをキミのせいにしようというわけでも、文句を言いたいわけでもない。が、しかし、なんだか気になるのだ。

 という話の流れからいくと、どんな夢を見ているんだということになるわけだけれど、夢を説明するのは非常に難しい。内容や設定があまりにも非現実すぎて、常識の前提が通用しない。そして矛盾に満ちていて、展開も(特に場面の切り替えなんか)むちゃくちゃなんだけど、その夢を見ている本人にはすごく腑に落ちて、よく理解できたりする。だから、難しい。僕には諸々わかりすぎるくらいわかるけど、他人にはまったくわからないだろうなと思えてしまう。

 たとえば、夢の中でふと漂ってきた匂いに、「あっ、これは雨の中お互いの通学路の交わる橋の上で待ち合わせたとき、家庭科の授業で作ったから食べてほしいとキミがもってきてくれたクッキーの匂いだ」とか、夢の中で感じた手触りに、「あっ、これはキミが冬によく着ていたセーターの手触りだ」とか、突然現れた雑踏に、「あっ、これは20代の後半、東京駅のコンコースでキミにそっくりな後ろ姿を見つけて、必死になって人波をかき分けたあの人混みだ」とか、メインストーリーとは別にいろんなものがちょこちょこと挿入されてきて、僕の心はそちらにも大きくとらわれてしまう。

 ところで、東京駅で見つけた後ろ姿がキミだったら、僕はどうしたんだろう?
 それはずっと抱きつづけている僕自身への疑問だ。

 残念ながら、僕はあの時キミの後ろ姿を見失った。行く手を阻むように向かってくる人たちに、僕は「ごめんなさい、ごめんなさい」と言葉とは裏腹に怒鳴り散らしていた。その僕の声がキミの耳に届いて振り向くか立ち止まってくれないかと心ひそかに祈りながら。
 あの人混みのなか、キミの名前を大声で呼ぼうかとも思ったけれど、キミにフラれて5年以上は経っていて、今更キミのことをどう呼んでいいのかわからなかった。どちらにしても、僕には勇気がなかった。

 もう一度、キミに会いたいと願いながらも、会ってどうしたいのかがわからない。それは、あの時も今もかわらない。

 そうだ、夢の話だった(はずだ)。
 夢の中、それがキミの夢だとは、僕も途中まで気づかない。それは模擬試験会場だったり、行ったこともない同窓会の会場だったり、どこかの教室だったりして、これはなんの夢だろう?なんてぼんやりのんきにしていると、僕は突然に気づくのだ。どこかに、キミがいると。

 僕の目は、キミの姿を不確かに捉える。なぜ確かではなく不確かかというと、たとえば複数の女子がいる教室の中を僕の視線が横切っていくとしよう。そして、僕の目は一瞬キミの姿を捉える。心の中で小さな悲鳴のような歓声をあげながら、僕は再びキミの姿を追いかける。が、誰だかわからない女子の陰に隠れて、はっきりとキミを捉えることができない。もしくは、窓からグランドを見下ろしていて、後ろ姿しか見えない。
 でも、あの髪の感じ、スカートの感じは確かにキミのはずだ。いや、絶対にキミなのだと、僕にはわかる。

 夢の中で僕が焦りを感じはじめていると、次の音楽の授業で、僕らは同じ教室になることがわかる。(夢ってそんなものだよね。なぜだかいろいろと都合よくわかるのだ)。
 そして、僕は安心する。大丈夫だ、音楽室で一緒になった時に声をかければいい。その時にあらためて、しっかりとキミを見よう。期待に膨らんで、胸の鼓動が早くなる。キミに会える嬉しさに胸が痛くなる。

 チャイムが鳴って、女子たちが音楽室へ移動をはじめる。勿論、その中にキミもいるはずだ。僕も音楽室へ通じる廊下を歩きはじめる。キミの姿が垣間見えないかと、ときどき、女子の集団に視線をやりながら。最初の「やぁ」っていうひと声が裏返らないよう気をつけようと思いながら。
 長い長い廊下を歩いていく。音楽室と書かれたプレートが見えて、教室はすぐそこのはずなのにやけに遠い。
 いや、大丈夫だ。音楽室にさえたどり着けたら、僕はキミに会える。会って、声をかけることができるのだ。
 そう、そこにたどり着けさえすれば…

 というところで、いつも目が覚めてしまう。
 もう少し、もう少しでキミの姿を捉えられると思いながらも、そのもう少しがなんともならなくて、いつもキミを逃してしまう。そんな夢がつづいている。
 以前には、夢のなかでキミと言葉を交わしたり、うまくいけばキミに触れたこともあったのに、ここのところいつもキミを取り逃がしてしまう。
 そのせいか、目を覚ましてからの心が重くて、まったくもってスッキリしないのだ。

 夢のなかでいいから(夢のなかだからいいのかもしれない)、僕はキミに会いたいのだ(たぶん)。
 そして、声を裏返すことなく無事に「やぁ」って僕が声をかけたあと、キミがどんな顔をするのか見たいんだ。
 そのとき、キミが僕をなんて呼ぶのかも知りたいし、なによりも、キミの声を聞きたい。

 ねぇ、いつか離れ離れになっても、お互いに年を取っていろんなことが終わったあと、またいつか陽当りのいい縁側でお茶でも飲みながら、ふたりで昔話ができたらいいねって言い合ったことを覚えているだろうか?
 それともキミはみんな忘れてしまっただろうか?