深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

ノートの使い方ー本編2『行頭の揃え方』

 僕が、中学生だった頃、メインで使っていたのは所謂大学ノートと呼ばれるノートだった。Aか、Bか、どっちが好き?と、聞かれたら、そりゃやっぱりBカップかな。
 って、カップってなんだ?
 いや、胸のサイズの話ではなかったはずだ。でも、せっかく書いたから、消さずにおこう。勿論のこと、忘れてもらっていい。ノートの欄外にメモる必要すらない。

 では、仕切りなおして、A罫とB罫、どちらを使っていたかというと、僕は、断然B罫を使用していた。なぜなら、僕は元々字が小さいからだ。大きな字を書くというのが、どちらかと言えば苦手だ。
 言うまでもなく、A罫が7mm、B罫が6mmなわけで、その差はわずか1mmしかないというのに、その差はとても1mmの差だとは信じられないくらい大きい。
 学生時代、時々、クラスで共有するノートがA罫だったりすると、僕は心がけて大きな字を書こうとするのだけれど、僕にはそれが余分なストレスに感じられた。
 文房具を選ぶポイントである、ストレスなく作業や筆記ができるという点から言っても、はなからA罫は、僕にとってはストレスだったのだ。前回書いた、リング綴じノートのあのリングが手にあたる不快感というか、ストレスがいやなように、僕はA罫のノートも好きではない。
 どんなに紙質や見かけやデザインがよくても、A罫はパスだった。
 (しかし、そんな僕も、すでに50才を越えようとしていて、世間で言う老眼になってきている。細かい字が、読めなくなってきたし、書けなくなってきて、ついつい字が大きくなりがちであり、40才を越えたくらいからは、A罫を使用している。ん?こんな情報はいらないかもしれいけれど)

 まぁ、罫の高さはひとまず、よしとしよう。今回は、行頭の揃え方についてだ。
 みなさんは、小見出しとか、中見出しとか、所謂、文字の頭を揃えたいときに、どうしていただろうか?もしくは、どうしているだろう?
 たとえば、
    江戸時代
    明治時代
    大正時代
    昭和時代
    平成時代
と、いったように、パソコンでならタブを使って便利に行頭を揃えることができる。しかし、ノートでは、なかなかそういうわけにはいかない。

 ひとつのアイデアとしては、事前にボールペンで縦の線を入れておくというやり方だ。僕も、やってみたことがある。
 大学ノートには、上下にポッチというか、目盛りがあって、それをつなげれば縦に真っ直ぐな線が簡単にひける。
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 写真では、大見出しと書いてみたけれど、目盛りの上にある大見出し用の欄は、ほとんど使ったことがない。理由は、さっき書いたとおりだ。大きな字を書くのが、苦手だからだ。
 それが、大見出しか、中見出しか、小見出しかといった判別は、字の大きさではなく、行頭の文字がどれだけ左側からはじまるかで決まる。
 考えてみれば、中見出し・小見出し・本文の文字の大きさが同じように、大見出し用の欄に書く文字だって、別段大きな字にする必要はないのかもしれないけれど、ここだけはあまりに特別な感じがするので、もしもこの欄に文字を書くなら、それなりに立派な大きな文字でなくてはならないと、僕は感じる。
 それが、うまく書けないので、この欄はそっとして、使わないでおくのが、僕の作法だ。

 こうすれば、確かに、行頭の文字が縦の関係において、きれいに揃う。
 それは、そのとおりだ。だけど、なんだか、僕はこのやり方では、ストレスを感じてしまうのだ。
 たとえば、「中見出し」の文章の途中、もしくは、文字のところに縦線がかかるのが、なんとも気持ち悪くはないだろうか?
 もしくは、「小見出し」が書かれていない行にかかっている縦線が、目障りではないだろうか?
 どうも、僕は、このやり方には、馴染めなかった。縦に加えられた線が、邪魔で、気になって仕方ない。

 では、学生時代、僕がどうしていたかというと、こういうことをしていた。
  midashitoumeisen
 わかってもらえただろうか?
 実線でひいてしまうと、その線が目障りでイヤだったので、シャーペンの芯をだしていない先っちょで、ノートをひっかくように透明な線を引いていた。これなら、書いた字の邪魔にならない。
 これが、僕のやり方だった。

 で、学生時代を終えて、大学ノートを使うこともあまりなくなった頃、あるものが注目を集めた。
 僕も、自分用と、娘へのプレゼント用に、2冊買った。
 『東大合格生のノートはかならず美しい』とか、そういった類の本が売れたのだ。
 2008年、時代は、ノートを忘れ去っていくのかと思われるような時だった。
 手書きから、ワープロ、そして、パソコンへと移り、人は文字を書かなくなっていて、誰もが、『いざ書こうと思ったら、とっさに字が思い出せなくてさぁ』と、嘆いたり、それだけパソコンを使えるようになったことを密かに自慢しあったりしていた。
 そんな時に、ノートの美しさを見せられて、僕らは驚いた。
 それは、字のうまいへたとかの問題ではない。しかし、そのノートを見て、僕らは、本のタイトル通りに、美しいと思ったはずだ。
 手書きは汚く、パソコンで作られた書類の文字が美しいと刷り込まれはじめていた僕らは、あらためて、手書きというものが、こんなにも美しかったんだということを、再認識させられた。
 なんでもかんでも、すべてをパソコンのフォントに、もしくは、MS明朝体の文字に統一する必要はないということに、気づいた瞬間であったようにも思う。
 少なくとも、僕にとっては、そうだった。『東大合格生』とか云々ということよりも、ノートが実はまだまだ有用であること、もっと活用できる道具であることを思い出したのだった。

つづきは、こちら→ノートの使い方ー本編3『ドットノートは…』

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