前回は、余談を短く書くつもりが、自分でも思いもかけないくらいに収拾がつかなくなってしまい、長々と書いてしまいました。
しかも、ノートの使い方というタイトルにかすりもしない内容だったことを、重ねてお詫び申し上げます。
もしも、暇で退屈で仕方なくて、どんなつまらない文章でも読んでやろうって方は、どうぞ→ノートの使い方ー序章『見たな?』
しかし、今回は大丈夫。少なくとも、ノートの使い方という本題にかすっている余談です。
はい、今回も本題ではなく、余談ですので、悪しからずご了承ください。
僕が中学2年生のときの話になる。
席替えで僕の隣りになったのが、Kという、ひとりごとの多い男だった。授業中にノートをとりながら、いつも、ブツブツと何かを言ってる。
別に、一日中ひとりごとを言っているわけではなくて、授業中、Kはいつもひとりごとを繰り返していた。
ある日の、ことだった。
とりわけ、Kのひとりごとが、よく聞こえてきた。
それは、なにかの加減で、Kの声が大きくなっていたのか、前日に耳かきをしてとんでもない大物を取り出した僕の都合だったのかは、定かではない。
とにかく、Kの声が、よく聞こえた。
『おっと、あぶない』
『これは、ぎりぎりセーフ』
『ジャスト、アウトかな』
授業中に、退屈しのぎになにかの遊びでもはじめたのだろうかと、僕はKの方を見た。
僕もたまに授業中に鉛筆を転がして、野球ゲームをしたりしていた。エンピツ野球と呼ばれるやつだ。当時、大抵の男子の筆箱の中には、このエンピツ野球用の鉛筆が入っていたものだった。
アウトとヒットを決める1本目と、ヒットの種類を決める2本目を用意する本格的なものもあったけれど、僕は面倒くさがり屋なので大抵1本だけでやっていた。
「アウト」が2つと、「ヒット」「2塁打」「3塁打」「「ホームラン」で、ちょうど6角形の鉛筆の6面を使うことになる。
こんな感じ。
但し、これでやるとアウトになる確率が低いので、通常3アウトチェンジのところを、2アウトチェンジにしたりしていた。
しかし、Kのひとりごとをよくよく聞いてみると、
『これは、書き直し』
『あぁ、触ってる、触ってる』
『上も下も、はみ出してる』
と、あたかもエンピツ野球とは無関係なひとりごとが、つづいた。
Kを見てみると、そもそも鉛筆を転がしている様子がまったくなかったのだから、エンピツ野球でないことは確かだった。
授業が終わってからも、その日のKは、ノートに向かって何かをしきりに書いていた。そして、何かをしきりに消しゴムで、注意深く消している様子だった。
僕は、ついに我慢しきれなくなって、Kに尋ねた。
『さっきから、なにをブツブツ言ってるんだ?』
Kが、驚いたように僕を見た。
「あぁ、今日はちょっと調子が悪くて』
一瞬、僕は、Kの健康状態のことなのかと思った。
しかし、Kは、
『うまく、字が書けないんだ』
と、言葉をつづけた。
Kにそう言われて、僕は思わずKのノートを覗きこんだ。
そこにあったのは、Kの外見とはかけ離れたような、当時「丸文字」と呼ばれていた、女の子が好んで書くような字だった。
『女子みたいな字を書くんだな』
自然と、感想が言葉になって漏れた。
Kは無言で、そんなことはどうでもいいという態度だった。まるで、もっと別なところに、もっと大切なことがあるんだとでも言いたげな感じで。
そして、Kは、僕にノートを見せてくれと言った。
しかし、Kは、僕のノートをほんの少し見ただけで、
『残念だけど、アウトだね』
と、言った。
なにがアウトなのか、僕にはわからなかった。そして、僕がアウトなら、なぜKはセーフなのかが、わからない。
おそらく、僕は、早く説明をしてくれよ、というオーラを発していたんだろう。Kは、僕のノートの文字を指でなぞりながら、説明をはじめた。
『ほら、上は大丈夫なんだけど、下が、触れてしまってる』
そう言って、Kは僕に同意を求めるように、こっちを見た。
が、僕には、Kの言わんとする指摘がうまく呑み込めずにいた。
(「下」って、なんだ?)
(「触れてる」って、なんのことだ?)
僕は、Kの顔をじっと見て、更に説明を求むというオーラを追加で発した。
『あぁ、ノートっていうのは、もっと意識的に書かなければならいんだ。多分、なにも考えずに、書いてるよね?』
と、Kは、今度はえらく高いところから、僕のノートを語りはじめた感じがした。しかも、確信をもって言えることは、Kは、僕のノートを非難しようとしている。
僕だって、ノートの取り方は、僕なりに工夫をしていた。それは、後々、試験勉強をするときには見返さなくてはならないわけだし、その時に読んでわけがわからないようなノートでは困るわけだ。
しかし、どうやら、Kが指摘したいのは、内容的なものではなく、もっと根源的な基礎的なものであるようだった。
『まだ、理解できてないようだね』
と、Kは、残念さを滲ませながら、つづけた。
『ノートに書かれた文字は、上の線にも下の線にも触れてはならないんだよ』
『………(?)]』(なんのこと?)
『キミのは、上の罫線には触れてないけれど、下の罫線にはわざとかというくらい触れてるじゃないか!』
『………(?)』(なんか、少し怒りだしたぞ)
『僕のノートをよく見てみたまえ』
言われるがまま、僕は、Kのノートを見た。丸っこい、小さな文字が並んでいる。妙にすかすかな印象で。
しかし、それ以上のことは、よくわからない。
僕は、もう一度、Kの顔を見て、追加説明を求めた。
Kは、「これだけ言ってもまだわからないのか」という無念さを滲ませながらも、親切につづけた。
『ほら、よく見たまえ』
Kは、横の罫線に一切触れることなく、その罫線と罫線の間に文字を書けというのだ。
それを厳守しているからこそ、Kの文字は罫線の幅よりもかなり小さくなるし、罫線への接触を回避するために妙に丸っこくもなっていたわけだ。
(ほぉー、そういうことか)
『わかっただろ?』
と、Kは、何かに勝ち誇ったような顔で、僕を見た。厳しい戒律を頑なに守り通す、厳格な信徒のような自信に溢れて。
確かに、一抹の感動すら受けた気がして、ただ授業中にひとりごとの多い、どちらかと言えば迷惑な隣人だったKを、僕は見た。
しかし、それはそれとして、やはり、どうしても聞きたいことがある。おそらく、誰だって、そうだろう。
『で、なんで、線に触れちゃいけないの?』
Kの顔が、見たことがないくらい、歪んだ。そして、その答えは、ある意味予想通り、ある意味期待を裏切ったものだった。
『なんでもクソもなく、ノートってのは、そうやって書くものなんだよ』
追記
あれから僕は35年以上の人生を送ってきたけれど、文字が罫線に触れているからと言って批難された経験は一度もないし、Kと同じように、罫線に触れないことを第一義にノートを書いている人に出会ったこともない。
それくらいKには希少価値があったのに、そのノートを採集できなかったことを、今も僕は悔やんでいる。
今ならデジカメやスマホで写メることがたやすかったのに、返す返すも残念で仕方がない。