深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

『蝶類図鑑』-- 大音量のジャズと苦いコーヒーと壁面いっぱいの蝶たち

 かれこれ30年くらい前、京都にその店はあった。
 僕が伝え聞いたところによると、その店の経営者は3人だったらしい。喫茶店をやりたかった男と、ジャズが大好きな男、そして、蝶を愛した男の3人が集まって、喫茶店をはじめた。
 それが、『蝶類図鑑』だ。

 暗い店の壁一面には蝶の標本が飾られ、JBLの大型スピーカーからは店の外まで聞こえるほどの大音量でジャズが溢れた。店内では淹れたてのコーヒーの香りと煙草の煙が螺旋状に絡まり合い、いつまでも消えることなく漂っていた。
 しかい、店の中に入ってしまえば、思いのほか静かだとも言えた。おしゃべりを楽しみにこの店を訪れるものはなかったし、流れつづけるジャズ以外にほとんど音がないからだ。
 唯一声が漏れるのは、注文の時だけだ。大音量のせいで、コーヒーを頼むのにも大きな声で叫ばなければいけない。
 オーダーと言っても、コーヒーか紅茶かビールくらいしかなかったのかもしれない。いつもコーヒーしか頼まない僕は、店のメニューさえ見た記憶がない。
 テーブルの上にカップが置かれる刹那のコトリという音も、熱心に読みふける本のページをめくるカサっという音も、すべてJBLのスピーカーから流れるジャズに包み込まれるように掻き消されてしまう。
 そして、色とりどりの羽根を大きく拡げ、身動きひとつしないで壁一面にとまった夥しい数の蝶たちは、まるでその薄い羽根で時の流れを止めて、僕らが大人になるのを少しでも遅らせようとしてくれているように思えた。

 女子学生が、大型スピーカーの横の席にいた。
 あんなにスピーカーに近い席で耳が痛くないんだろうか、と僕は思ったのだけれど、「灯台下暗し」の諺どおり、スピーカーの真正面ではなく側面にあるその席は意外と静かなのかもしれない。
 平日の午後だというのに今日も店内は、客で溢れていた。客の大半はひとり客で、学生が多かったように思う。もしくは、学生が抜けきっていないような大人になりきれない大人と言うべきだろうか。(烏丸にあったザ・マンホールというジャズ喫茶は、逆に社会人が多かった印象がある)
 そんな混雑のなかヘタをすれば相席になってしまうことを思えば、スピーカーの横の席は一人分だけの席をとってつけたように作ったとは言え、誰にも邪魔されない特等席なのかもしれない。
 彼女はその狭い席で、器用にテキストとノートと辞書をひろげ、フランス語の授業の予習か復習をしているようだった。昼間だというのに仄暗い、明り採りしかないような店内で。
 僕は、注文を聞きにきたバイトの学生に、口の形だけでコーヒーを注文した。声を出したところで、どうせ聞こえないのだから。

 銀縁眼鏡の細身の男が、大きく体を揺らしていた。それは、レコードに合わせてビートを刻んでいるとか、スイングしているというよりは、酔っているようにしか見えなかった。
 目をかたく閉じたまま、男は、その顔に恍惚と苦渋の色を交互に浮かべていた。サックスのアドリブラインが、もたもたと男を焦らしていたからだ。
 サックスは、飛び立つ前の勢いをつけようとブレスともブレークともつかない小さな間をとり、サックスのアドリブの邪魔をしないようにと遠慮がちながらも絶妙なバッキングで煽っていたピアノが、さぁ、そろそろと、サックスをさらに促す。
 それでは、と、意を決したように、サックスが一気にターゲットノートに向かって駆け上がる。それを、ピアノが追いかけ、ドラムが畳み掛け、ベースが畝るようにして、サックスをもっと高みに押し上げる。
 男の体はリズムを見失いながらもがむしゃらにそれを掴もうとして、電気椅子にかけられた囚人のごとくただただバラバラに手足をばたつかせていた。不思議としなやかや動きであったおかげで、まわりの客もさほど迷惑とも思わずにいられた。そして、遂に、サックスが絶頂に達すると、その曲はテーマに戻ることなく唐突に大ブレークで終わった。
 一瞬にして、店内は静かになった。押さえつけるように覆いかぶさってきていた音圧が一気になくなり、店内のあちこちから思わず詰めていた息が漏れ、咳払いが聞こえた。レコード針が溝の埃を感知して、時折パチパチと大きな音を響かせた。
 次の曲のはじまりに向けて身構えていると、レコードチェンジのタイミンがだったらしく、バイトの学生が次のレコードをセットするのに手間取っていた。
 男は、椅子からはかろうじてずり落ちない状態でとどまってはいたものの、明らかに果てていた。そして、そのまま動かなくなった。

 レコードチェンジを終えたバイトの学生が、大型スピーカーの上に置かれたレコードジャケットも交換した。それが、Now Playingということだ。
 一瞬だけスピーカー横の彼女が顔をあげ、さげられていくレコードジャケットを確認したように見えた。新しく置かれたジャケットには、無関心だったけれど。

 僕は、大抵の場合、そうやって、店内にいる人々を眺めて過ごしていた。一番の目的はジャズだったし、音の波を頭から浴びたくなると『蝶類図鑑』に通った。
 苦いコーヒーを飲むことと、煙草をすうこと以外に、僕にはすることがなかった。こんな暗い中で小さな文字を追って本を読む気にはなれなかったし、他の店では『ガロ』なんかを読んで暇をつぶすこともあるのに、なぜか『蝶類図鑑』では漫画を手に取る気にもならなかった。
 ジャズがあって、苦いコーヒーがあって、壁一面を蝶の標本が覆っていた。
 人々がいて、人々がいるのにひとことも喋らずに、それぞれが思い思いの過ごし方をしながら、黙って同じ音楽を共有し、場を共有していた。まるで寄りそうように。

 

 店を出ると、僕はいつも雑居ビルの踊り場で店のドアを振り返った。店の中が見えないような、木のドアだったろうか。いや、それとも、中が見えない擦りガラスだったろうか。
 初めてこの店に辿り着いた17歳だった僕は、大音量のジャズだけが漏れてくるこのドアに怖気づいて引き返してしまったことがある。
 このドアを押し開けた者だけが、『蝶類図鑑』を知るのだ。
 ジャズ雑誌には、それがジャズ喫茶だとは判じ難いような広告を出し、店のマッチ箱には洒落た意匠を施した。
 場所は、更に昔、梶井基次郎が画集の上にそっと檸檬爆弾を仕掛けた京都丸善近くの路地を入ったところ。その丸善さえ今はないけれど、時代が違えば梶井基次郎だって『蝶類図鑑』に通ったかもしれない。
 そんな、不思議な店だった。