新聞を読むという習慣がなくなって、かなりになる。かれこれで言うと、25年くらいになるだろうか。
しかし、今でも、書評欄というのは気になるもので、自ら進んで新聞を手に取るのは、書評欄が掲載される日曜日だけになっている。
そして、今日が、その日曜日だった。
新聞によると、佐伯一麦が、『渡良瀬』を完成させたらしい。
いきなりそう言われても、即座にそれがなにを意味するかを理解できるほど、僕は、佐伯一麦に明るくもない。
しかしながら、書評の中にあった「古河」という地名と、「家族の陥った困難な状況を題材にして小説を書く作家志望の夫に、妻は不満を募らせている」という一文が、僕の記憶を刺激する。
そう言えば、そんな作品があると、遠い昔に、読んだことがあった気がする。
そして、「古河」で試みた佐伯一麦の『再生』は、破綻したのではなかったのだろうか?
夫婦として、親子として、家族として、佐伯自身としても。
しかも、その破綻の物語すらも、連載掲載誌であった『海燕』が休刊となり、未完のまま、捨て去られてしまったのではなかったのか?
少なくとも、僕の記憶の中では、そう結論づけられている。
佐伯一麦の小説スタイルは、私小説と呼ばれるものだ。
一般的に、私小説家の人生が幸福に満ちていることは少ない。彼や彼女らの人生が苦渋に満ち、辛酸を舐めるからこそ、それは小説になる。
佐伯一麦の作品群の位置づけで言うと、初期の、『一輪』という物語が、僕は、好きだ。
電気工の佐伯が、ぶらりと立ち寄った風俗店の娘に惚れて、不器用に心通わせる物語。
その頃の僕はと言えば、特に誇れるものなど、なにもない。けれど、特に、卑下する理由もないのに、なんだか、毎日心はすぐれない。
都会の片隅で、名もなく、ひっそりと生きていることに胸をはれず、どこか後ろめたいような気分が、僕を包み込んでいた。かと言って、なんのアクションも起こさず、無為に過ぎていく日々を、なすすべもなく見送る毎日の傍らに、ただただ立ち尽くす僕がいた。
そんな僕に、私小説である『一輪』は、響いた。
初めて読んだ佐伯一麦の作品は、三島由紀夫賞を受賞した『ア・ルース・ボーイ』だった。『ショート・サーキット』や『雛の棲家』も読んだかもしれないけれど、僕の中では、佐伯一麦と言えば、『一輪』なのだ。
そして、妙にその後が、気になる作家であった。
佐伯一麦が、生きているのは知っていた。
けれど、大抵の場合、僕は佐伯一麦に関するあれこれを忘れてしまう。
今回も、この文章を書くにあたって、あれこれと確認している過程で、そう言えば、再婚したんだっけだとか、そんなタイトルの小説が書店で平積みになってたような気もする、なんて思いだしていた。
そして、これから数カ月後には、またすっかり忘れて、佐伯一麦は、どうしてるんだろう?なんて、思うにちがいない。
僕にとっては、そんな、作家なのだ。
ここ10年ほど、書店で、佐伯一麦の本を探したことは何度もあるのに、買ったことはない。ただ、新刊が出ていれば、まだ生きてるんだなと思うし、手にもとってみる。そして、また、元の棚に丁寧に戻しておく。
それが、僕にとっての、佐伯一麦だ。
しかしながら、と言うべきか、今回の『渡良瀬』は、いつか買うような気がする。
新聞を読む習慣がなくなったように、僕は、本を読む習慣からも、今はかなり遠く離れてしまっている。
自分でも信じられないくらいに。
1周間のうち5日は書店に立ち寄るような生活というか、1日のうちに3店は書店に立ち寄るのが当たり前だった暮らしが、まったくの嘘のような暮らしを、今はしている。
そして、読みもしない本を積み上げておくような習慣も、なくなった。
でも、『渡良瀬』は、そのうち、忘れた頃に買ってしまう気がする。
「買ってしまう」という言い方は、あまりに、佐伯一麦に失礼だろうか?
佐伯一麦という作家は、僕にとっては、そういう作家なのだから、そう言うしかない。
そうか、あれを、書き上げたんだ。なら、いつか、読んでみよう。