深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

立花隆さんの訃報

 近年具合は決してよくないんだろうなと漠然とは思っていた。ぼくをはじめ「読者」であるぼくらは、つねに立花氏のあらたな知見を求めていた。『知』に貪欲だった立花氏が、近年なにを考えなにを感じて日々を送られていたのか、ぼくには知る由もない。ただその晩年書物やものを書くということから遠く離れらていたとしても、それはそれでいいような気がしてきている。勝手なぼくの妄想ではあるけれど。
 「死の床の、息の絶えるその瞬間まで書を読み、その『知』への貪欲さは執念とさえ言えるものだった」
 なんて、そういうのが好きな人は好きなんだろうけれど、なんだかぼくはイヤだな。ぼくが思う立花隆さんは、臨死さえも楽しんでいるような軽やかさで逝ってほしいと願っていた。ほんとうに身勝手な願望だけれど。
 どんな死際だったのか、くわしくは知らないどころかいまのところ知りたいとも思ってはいない。ただ、立花隆さんが亡くなった、もしくは、亡くなっていたということを知って、「そうか」とため息ともつかない小さな息がぼくから漏れた。そんな感じだ。

 とりあえず、好きだった本を三冊あげる。訃報に接して頭に浮かんだ三冊だ。

  • 「宇宙からの帰還」
  • 脳死
  • 「サル学の現在」
  •  「宇宙からの帰還」は、立花氏を好きになるきっかけになった作品だ。1984年頃、中公文庫本で読んだ記憶がある。
     それ以前からの立花氏と言えば、『ロッキード事件』『田中角栄』といった政治がらみのジャーナリストだと思っていた。しかし、この1冊でぼくの氏の評価がガラッと変わってしまった。なんておもしろい人なんだろう、と。
     小学生の頃から宇宙開発のロケットに興味をもっていたぼくにとってこの書はかなり刺激的だった。いろんな意味で。技術的なこともさることながら、宇宙を体験した人たちのその後であったりだとか、いろんな視点で話が展開していってもったいないと思いながらもとにかく一気に読んでしまった。

     「脳死」は1986年あたりだったと思う。実の母が旅先で脳溢血で倒れたことともリンクした。『脳幹死』『全脳死』といった解説とそれにまつわる諸問題の提示がうまいと思った。

     「サル学の現在」は、1991年あたりだったろうか。あの分厚い単行本を、社会人になっていたぼくは買った。
     とにかくおもしろい。サルの行動観察自体もおもしろいし、京都大学の霊長類研究所という研究所もおもしろいし、京都大学といえば今西錦司氏でもあり、いろいろととにかくおもしろい。
     「Ank: a mirroring ape」という佐藤究氏の本を読んだときに真っ先に頭に浮かんだのも「サル学の現在」だった。

     あとは本ではないが、『天安門事件』のとき、週刊誌連載で氏は「民衆」側が勝利しそうだという情報を発信した。にもかかわらず、その後軍部のクーデターも起こらず「政府」側が鎮圧に成功したときの氏の弁明を覚えている。

     氏の両親が無教会派のクリスチャンであったと、対談記事で読んだ記憶がある。失礼な言い方だが単なるクリスチャンではなく『無教会派』というのもなんだかおもしろい。
     どんな宗教にしろ修行中に『神』や『仏』と出会ったりお告げなるものを賜ったりするという話がよくでてくる。それに対して、「飲まず食わずで何週間もいれば誰だって幻覚や幻聴におちいって、『神』や『仏』に出くわしますよ」と笑っていた。
     神仏に興味はあっても信仰はないのかなと思いつつも、いつか『神』について書いてほしいとぼくは願っていた。半分は期待していなかったけど。
     だって、
    「そんないないものについては書けるはずない」
    と、笑い飛ばしそうな気もして。

     ご冥福をお祈り申し上げます。くわえて、たくさんの名著をありがとうございました。感謝しきれないくらい感謝しています。ただただそれだけが言いたくて。ほんとうにありがとうございました。