深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

真夜中の風呂場で、頭を洗っていたら、誰かが僕に囁いたんだ---僕の「ありがとう」とあなたの「ありがとう」、もしくは、僕の「ごめんなさい」とあなたの「ごめんなさい」について

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 別段、なにかを考えていたわけではなかった。深夜遅く、風呂場で髪をごりごり洗っていたときに、それはふとやってきた。
 恥ずかしながら、50歳も過ぎて今更?ってくらい、おっとりとそいつはやってきたのだった。

 そんなもんだから、僕は、事態を飲み込むために、一瞬、地肌をごりごりとこすっていた手を止めて、えっ?と風呂場の鏡に映っているはずの自分を見た。
 けれど、風呂場の鏡はシャワーから出るお湯の蒸気で白く曇っていたし、元々裸眼視力が0.1をはるかに切っている僕の目では、そこに映った自分の顔を確認することは不可能なことだった。
 にもかかわらず、僕は、白く曇っている鏡に映っている自分の顔をまじまじと眺め、そんなことにも気づけずに大きくなってしまって、『やっぱり、僕ってバカだよな』と、呟かずにはいられなかった。

 その日、僕は、仕事でいくつかのミスをした。大きなミスではなかったし、言い訳できないミスでもなかったし、100%全部僕だけが悪いというミスでもなかった。
 僕は、関係する何人かに、ミスを認めて「ごめんなさい」と詫びた。
 そして、ミスを見つけてくれた人や、そのフォローをしてくれた何人かに、「ありがとう」と感謝した
 帰宅途中の車の中で、いつもそうするように、僕は一日の仕事を振り返り反省をした。
 少なくともうまくない一日だった。集中力が足りなかったというか、ある時点で油断をして確認を怠ってしまったとか、あの言葉遣いはよくなかったとか、あの時点で先手を打つよりももう少し待ったほうがよかったのではとか、まわりの人たちの動きをもう少しワイドにしておくべきだったとか、そして、家に着いて車を降りたら、一旦はすべてを忘れることにしている。
 くどくどとは考えない。うまくない1日であっても、うまくいった1日であっても、そこから反省すべきことや学ぶべきことを抽出し終えたなら、一旦は忘れるようにしている。
 それは、もう終わってしまった1日なのだ。そして、今日はうまくいったから、明日はダメでもいいやと、明確にそう考えるわけではないんだけれど、知らず知らずに僕という人間は、そう思ってしまいがちなのである。

 意識的に、「ありがとう」という言葉をかけるようにしている。もうずっと以前に、どこかでそうした方がいいと読んでからそうしている。そして、そういう類の記事やエピソードは、それ以来も度々目にしてもきた。
 なんだかそうして考えると、僕の「ありがとう」は、後天的というか、儀礼的というか、ビジネス的というか、礼儀やマナーとして身につけてきた「ありがとう」のような気がしてきた。
 そして、僕の「ごめんなさい」は、どうだろう?
 世の中には、なんだかやたらと、「ごめんなさい」と言わない人がいる。言わないだけならまだしも、他人のせいにして、自分はまったく悪くないと主張する人もいる。
 僕は、意味もなく威張っている人と、謝らない人が、嫌いだ。謝らない人というか、自分の非を認めない人とか、自分の誤りを認めない人と言ってもいい。
 心がけとしては、自分の非がわかったら、まずは、「ごめんなさい」と言うようにしている。なぜそうなったかだとか、言い訳したいことや、説明したいことがあっても、一旦はそれは後回しにする。
 大抵の場合、「ごめんなさい」と言わない人たちは、他人の説明も聞かないものだというのが、僕の経験則だ。
 他人のことはともかく、僕だって、なかなか直らないダメな態度を思い出した。根本的に僕は短気だ。先の見えない話を、延々とつづけられるのが苦痛だ。もしくは、明らかにおかしな根拠を力技でつなげたような無理矢理な話を、おとなしく聞いていられない。
 ついつい話を遮ったり、結論まで聞かずに先走って判断して、あれこれと言いたくなってしまう。もしくは、とにかく、早く話をしろ!と苛ついてしまう。
 本当に、これは大いなる反省点だ。

 で、夜中に50過ぎの男が、風呂場でごりごりと頭を洗いながら何に気づいたかというと、僕は自分の「ありがとう」や「ごめんなさい」よりも、相手の「ありがとう」や「ごめんなさい」を見下しているというか、過小評価しているということだ。
 なにはさておき、ミスをしたときに、自分の非を勇気を持って謝る僕の「ごめんなさい」って凄いよな。
 とか、こんなことにも、「ありがとう」って言える僕、偉いなぁ、とか。
 とにかく、自分の「ありがとう」や「ごめんなさい」には、自分で過剰に盛ったいろんなものが、くっついてくる。
 それに反して、誰かの「ありがとう」や「ごめんなさい」に、僕は真摯に耳を傾けているだろうか?
 そんな質問をするまでもなく、僕は誰かの「ありがとう」や「ごめんなさい」を軽んじて、右から左に聞き流している。
 意味もなく威張る人間が嫌いだ。と言いながら、僕だって十分に威張っているのだ。
 ということを、なぜだか、その深夜の風呂場で誰かが僕に囁いたのだ。そして、その囁きに、無防備このうえない素っ裸で、頭をシャンプーの泡だらけにした状態の僕は、『おっしゃるとおりです』と深く頷くしかなかったのだ。