深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

どうもボケはじめたかもしれない

 それは先日の病院での出来事だった。採血と検尿を終えて心電図測定の順番を待っている間、まだまだ呼ばれそうにないのでスマホを手にしようとした。
 「ん?どのポケットに入れたっけ?」
 すべてのポケットを探り終えた僕は、はたと考える。
 「車に忘れてきたかな? そもそもスマホを病院に持って入ったんだっけ?」
 そう言えば内科受付がはじまるのを待ってる間、仕事関係の伝達事項をスマホで確認したんだった。ということは、スマホを持って院内に入ったことに間違いはない。そうか、あのときのあの席に忘れてきたのかも。
 と、僕は心電図検査室の前から離れて少し前に座っていた席を見に行った。が、その席にはすでにほかの人が座っていたし、やや慌てている感を醸し出しているであろう僕の挙動に反応する人もいない。
 「ここではない気がする」
 改めて、僕は自分の記憶を辿る。内科受付の前に何をしただろう?
 「あっ、血圧を測ったんだった」
 僕が通う病院では血圧測定は院内に配置された器械でセルフで行うことになっている。あのとき測定器の隣りに置かれた荷物カゴの中にスマホを置いた記憶が鮮明によみがえった。しかしながら、時間が経っているせいか荷物カゴに僕のスマホは見当たらなかった。
 仕方なく、僕は顔馴染みとは言わないまでもなんとなくお互いを認識し合ってる内科受付の係の女性に事情を説明した。
 「あぁ、これですね」
と、ここでことが収まるのを期待していたものの、彼女は、
 「それらしきスマホを総合受付で預かっているはずです」
と、教えてくれた。
 仕方なく僕は総合受付に行く。たどり着いた総合受付は、予想どおりに混雑していた。そんなときに自分の不注意で忘れたスマホの件を切り出すのは気が引ける。気は引けるのだけれど、心電図の順番が回ってくるまでに検査室に戻りたい気もある。
 ようやく総合受付の係の人が手渡してくれたスマホは間違いなく僕のものだった。機種名や色、形も合致した。それでも念の為と、忘れ物の受領書への記入を求められ、僕は素直にその要求に従った。
 いろんな人の手を煩わせはしたものの、スマホは無事に僕の手元に返ってきた。
 一件落着。

 それは、病院からの帰り道、買い物に立ち寄ったスーパーでの出来事だった。
 早く順番がまわってきそうだとあたりをつけたレジに並んだ僕は、コートから財布を出して会計の準備をしようとした。コートのポケットをさぐり、ズボンのポケットをさぐり、エコバッグの中をさぐった。僕はひとつの可能性としてレジかごの底で商品に埋まってやしないかと、ゴソゴソと商品かごのなかもさぐった。しかし、僕の長財布は見当たらなかった。またしても失くしものだ。
 身につけていないのなら、あとは車のなかへの置き忘れしかない。いきつけの薬局で薬の処方を受けたあと、薬の入ったバッグと財布を僕はどこに置いただろうか?
 レジの人に事情を説明して商品の入ったかごごと預かってもらった。車に財布を置き忘れてくる客なんて日常茶飯事だろうと僕も思ったし、レジの人も「あぁ」と軽く頷いて片手を出すと、面倒くさいそぶりも見せずにレジのカウンター内の足元に僕のレジかごを置いた。
 ただ、それだけの話だ。けれど、スマホにつづいて今度は財布だ。半日のうちに二度、僕は些細なつまらない物忘れをした。注意力が足りないなと、自分に呆れる。もしくは、ボケがはじまったんだろうか?

 そして、今度のそれは忘れ物がつづいた日の翌日に職場で起きた。
 「お先に」
と、短い挨拶を残して部屋から出ようとしたときだった。
 僕は昨日の件があるので自分の手のなかにスマホが握られていることを確認した。手がなにかを握っていることは確かだった。けれど、手に握っているのがスマホではなくてリモコンだったという前科をわが家で犯している僕は、目でも確認するべく自分の握りしめているものを見た。間違いなくスマホだ。白のiPhone。そのとき手が画面に当たったのか、待受画面が起動した。その画面を僕は二度見する。二度見したあと、さらに三度見した。
 「だれ?」
 僕には待受画面で微笑む男性が誰であるのかはわからなかったけれど、僕の待受画面でないことだけは確かだった。
 「深海さん、それ私のスマホですよ」
 慌てて追いかけてきたのか、少し息を切らした部下の女性に声をかけられた。
 待受画面を見ても腑に落ちない僕は、未練がましくスマホを裏返してみる。そこにも僕の見慣れない花柄模様があった。つい一瞬前に白いiPhoneだって確認したはずなのに。
 彼女は怒ってはいなかった。怒ってはいないけれど、少し驚いていた。その彼女に恐る恐る僕は尋ねる。
 「じゃあ、僕のスマホはどこにあるんだろう?」
 「えっ?」
 今度こそ、彼女もひいた。
 「そこまでは私にもわかりません」
 結局、僕のスマホはいつも僕が置いている場所になにごともないようにあった。職場でもスマホを忘れることや、いつもの場所と違う場所に置いて探索の旅に出ることはある。けれど、人のスマホを持って帰ろうとしたのは初めてだった。自分のスマホをなくすのはまだしも、人様のスマホに手を出すのはまずい。たぶん、非常にまずい。今日の彼女はなんとか笑って済ませてくれたけど、彼女だって決して気持ちのいいことではない。いや、はっきり言って気持ち悪いにきまってる。ついに、本格的にボケはじめたんだろうか? そう言えば、妻は、「一回、脳ドックでも受けてみる?」と神妙な顔で僕に言った。

 そして、それは他人様のスマホを持って帰りそうになった二日後に起こった。
 「ほんとに自分でもびっくりしたよ。自分のスマホを置き忘れるだけならまだしも、他人様のスマホに手を出すなんて迷惑もいいとこだ。ほんとにボケたのかなぁ」
 僕の話を聞いているはずの妻の反応が薄いのが心配になって、僕は妻の方を見た。
 「ん?」
 そこには呆れ顔とも、憐れんでいるようにも見える妻の顔があって、こう言った。
 「ねぇ、その話、昨日もしたの覚えてる?」