深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

5年ぶりに電車に乗った話

 先日、見たい展覧会があって京都市内に出かけてきた。ぼくは兵庫県北部に住んでいて、とても鳥取が近い。鳥取砂丘の馬の背にのぼったことも5回以上あるはずだし、鳥取イオンにもよく買い物に行くし、僕の財布の中には鳥取の店のスタンプカードがたくさん入っている。
 そう言えば鳥取市内にスタバができるまでは、我が家から最も近いスタバは(最短時間でたどり着けるという意味で)羽田空港内のスタバだった。我が家→鳥取空港羽田空港と、うまく行けば2時間以内にたどり着ける。兵庫県内のスタバよりはるかに近い。

 都会に出かけたというぼくの鮮明な記憶は、2018年12月の東京行きまで遡る。鳥取コナン空港から羽田空港に飛ぶのが最も近いので、その時もその前の年にもそうした。実に5年も前の話だ。
 だが、それ以来、都会らしい都会に出かけた記憶がない。出張で金沢に行ったのは行ったけれど、車移動ばかりだったしあまり都会感はなかった。それもコロナ以前の話だ。

 そんなぼくが久しぶりに都会らしい都会に出て、車移動ではなく(厳密には亀岡駅までは車だった)電車に乗ってみることにした。それも5年前に使ったきりのスマホSuicaを使って。券売機に並ぶ人がほぼいないことは、5年前にも経験済みで知っていた。ずっと昔、券売機の前に行列を作って切符を買っていたのが懐かしい。素早く目的地までの切符が買えるように、並んでいるうちに路線図を確認して財布からお金を出して準備しておくのがマナーだったはずだ。行列が進んで券売機の前に到達してから、よっこらしょと路線図を見上げるお年寄りにイライラしたのは若気の至りだろうか。今ではイラつかれる方の立場になってきた。

 予想したとおり、JR亀岡駅の券売機前に立ったのは、ぼくと外人男性1名のみだった。後ろに並ばれるプレッシャーがなくていい。さてと、一応、券売機上にある路線図を見てみる。2000円もチャージすればこと足りるだろうか。いや、さしたる確信はなかったのだけれど、財布から出しやすかったのがその金額だったのと、足りなければ足りないでどう対応すればいいのかを経験する機会になる。
 運よく券売機のなかで一番初めに目についたのが、『チャージ』という文字だった。そうだ今回ぼくがやりたいのは、券売機で自分のスマホに入っているSuicaに現金でチャージすることだ。券売機右手下あたりに、ここにスマホを置けってことだろうなというようないかにもな長方形の部品がある。ぼくは素直にそこに自分のスマホを置いてみた。次に、『現金チャージ』とかなんとか書いたボタンを見つけた。押してみる。金額を尋ねられて2000円を選ぶ。なにやらよくわからないけど、慌ててスマホを動かすなと、チャージはまだ終わってないぞと警告された気がする。それはなんとなく予感がしていた。まだ動かしてはいけないと。まもなく、聞きようによっては「チャリーン(毎度あり〜)」って音がした(気がする)。チャージ完了だ。
 ぼくは知らない間に額に浮いていた汗を拭い、大きな安堵の息を吐いた。そして、今日のやるべきことはやったという充実感と、『まだまだいけるぞ』という謎の自信を深めて、券売機の前に仁王立ちして『ドヤっ』てみた。もちろん、券売機及び隣で切符を買っていた外国人にも、「なにしとんねん、このおっさん」という目で見られただけだった。

 亀岡駅の改札を通った。ぼくは右利きだけど、スマホは左手で持つ派だし文字入力も左手でする。しかし駅の自動改札はいまだに切符利用者に合わせているのか、切符の挿入口やICタップが右側にある。ぼくは左手を伸ばして水戸黄門の印籠をこれでもかと悪代官の頬にぐりぐりこすりつけるように、右側のICタップ画面にねしつけた。
 そして、難なくというか、あっけなくというか、当たり前の結果としてというか、自動改札の扉が開いた。僕のなかではちょっとだけ、『Oh!』って声が漏れていた。

 幸先はいい。では、いってきます。