深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

なんだかんだ結局やっぱり若冲という話

 11月に
 相国寺承天閣美術館 
   「若冲と応挙」第I期応挙『七難七福図巻』
 細見美術館 
   開館25周年記念展I期「愛し、恋し、江戸絵画ー若冲北斎・江戸琳派
の、ふたつの美術館を一日でハシゴした。

 相国寺承天閣美術館では全期通して、若冲の『動植綵絵』が展示されている。(『動植綵絵』は、1889年に明治天皇に献納されており、現在は宮内庁の所蔵となり、国宝認定されている。2023年11月3日から宮内庁三の丸尚蔵館が一部リニューアルオープンされ、そちらで本物の『動植綵絵』の一部が公開されていることでも耳目を集めた)相国寺ではレプリカとは言え『動植綵絵』全30幅と、釈迦三尊図が一堂に公開されている。どうか機会があれば是非ともこの若冲の色彩の海に溺れてみてほしいと思う。

 幸か不幸か、この『動植綵絵』を見たあとに訪れたのが細見美術館だった。長らく行きたい行きたいと願いながらも、今回が初めての訪問だった。その佇まいはぼくの予想を裏切って実におしゃれであった。(勝手ながらもっと朴訥というか質素というか和風というか、平屋の日本家屋風イメージを抱いていた)
 そして、そこにあったのは薄暗い館内の展示スペースにぴったりなモノクロの若冲だった。思わず、「あっ」と声が漏れた。これは完全にやられた。短い時間にこのふたつの若冲を堪能できるとは。しかも、まったく違う美術館で。ただただうれしくてニヤケ顔が止まらない。
 お土産に、『虻に双鶏図』の絵葉書を買った。さっそくにデスクまわりに飾ったら、家に帰ってからもニヤケ顔が止まらない。

 なんだか、応挙も江戸琳派もどうでもよくて、結局のところ若冲の一人勝ちのような気がした。


 11月にもうひとつ、会期が終わるところを駆け込みで見に行ったのが、
 中之島美術館 
   長沢芦雪 奇想の旅、天才絵師の全貌
だった。4年くらい前に岡山の県美で見て以来、蘆雪って面白いなと思っていた。

 長沢蘆雪は応挙の高弟でもあるのだけれど、意外ではある。そしてぼくの友人もその事実を知らなかったところを見れば、蘆雪が応挙の弟子であったことも意外と知られていない。
 その師弟関係のせいか、この展覧会では両者の似たような絵が並べられていた。
 両者タイトルも同じ『牡丹孔雀図』。応挙の『百兎図』と蘆雪の『笹に雀、雪に兎図屏風』。応挙の『仔犬図』と蘆雪の『梅花双狗図』など。
 蘆雪を見に行ったはずなのに奇妙なことが起こった。人混みを避けて展示会場をざっと見渡したり、展示されている作品を流し見したときに、「あっ、あれはうまいなぁ」と目を奪われた作品が、すべて応挙のものだった。
 (ぼくはあくまでも絵に関しても素人だ。だけど、今回はつくづく「応挙って絵がうまいんだ」とバカみたいなことを素直に思ったのだ。それも今回の蘆雪展の収穫のひとつだと思っている。決して、蘆雪を悪くいうつもりはない)

 そして、もう一つは、同時代の作家ということで作品が並べられた若冲蕭白だ。というか、若冲だ。しかも、『象と鯨図屏風』だ。鯨はさておき、同時代の人々はこの象を見てどう感じたんだろう?屏風としても大きなものだし、インパクトが半端ない。率直に言って、蘆雪展にこの若冲を持ってきちゃいかんだろ、と思った。
 (ここでも蘆雪を悪く言うつもりはない。ないけれど、辻惟雄氏が『奇想の系譜』で「若冲蕭白に比べて蘆雪は弱い」と指摘したのもやむなしかなと思えてしまったのも事実だ)
 やっぱり、結局のところ若冲でいいんじゃないの、という思いがまたまた湧き出てきてしまう。

 ちなみに、蘆雪展の最後の方に、若冲、応挙、池大雅蕭白、蘆雪といった面々が何年に生まれて何年に亡くなったかを並べたグラフのようなものがあった。最初に生まれて最後に亡くなったのが若冲なのだ。その人生の長さにおいても期間においても、他のものを包含している。それはいかにもどの要素も漏れなく若冲には入ってることを表しているようにも思えた。

 だから、タイトルにしたように、結局、若冲でいいんじゃない?っていうことなのだ。もちろん、よくなくても全然いいんだけれど、あらためて若冲ってすごいんだな、と思ったってだけの話です。