深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

リソースは有限であること、もしくは、優先順位の変更

 もうすぐ60歳になる。それは生き続けていれば当然迎えるべきものだ。20歳がそうであったように、区切りの悪い47歳だってそうだった。何が言いたいかというと、生まれて20年間生きたら20歳、47年間生きたら47歳。だから、60年間生きたら60歳になる。いたって当たり前なことだ。逆に60年間生きたのに57歳だとか言われたほうがみんな混乱してしまうし、ややこしくて仕方ない。

 で、ふと思ったことが、タイトルに書いたとおり。これも至極当たり前で凡庸なことを言ってるにすぎない。『ある程度の年齢になったら健康管理も大事だよね』とか、『トレーニングも大事だけど、休むことも大事』とか、そういった類いのことにすぎない。ただ、ある日標語に近いような耳慣れてはいるけれど実感が伴わなかった言葉が、いいのか悪いのか妙にしっくりくる時があらわれる。「あぁ、これかぁ」って感じで。今回のぼくの「あぁ、これかぁ」っていうのが、リソースは有限なんだし、そろそろ自分のなかのプライオリティというか優先順位を考え直さないといけないのかなってことだったって話。

 たぶん、リソースも優先順位も変化する。極端に言えば、日々変化することもあるし刻々と変化することもある。ただ、そういう厳密な話をしたいわけではない。リソースを余命とか財産とかだと思うと、これから増えるよりは減っていくことのほうが確実視される。余命はあと何年なんだろう? 5年か10年か。それもどんな健康状態での5年であり10年になるんだろう。

 そして、やり残したこと、やりたいことはなんだろう? 要は、これから先の人生で大切にしたいものは何かということだ。子供が成人して社会人になり結婚もして、子供を中心に回っていた生活は終わった気がする。仕事に関してはどうなるんだろう?60歳で定年退職しても生活は苦しいだろうし、働かざるをえないとしても、仕事そのものの優先度が高いというのもなんだかなぁと思ってしまう。もちろん、仕事の上でもやりたいことややり残していると感じていることはある。おそらくは人生の残り時間よりは、働ける時間の方が短い。そう考えると完全に退職するまでは仕事の優先度が高くても間違いではない。そのときには仕事はプライオリティーの対象から外れているのだし、そのときがくればそのときに考えればいいのかもしれない。

 とりあえず、60歳を目前にして残りの人生、なにを大切に生きていくのかぼつぼつと考え直していこう。