深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

風邪をひいた日は…

 どうやら久しぶりに、風邪をこじらせている。
 熱は大してないようだし、完全にやられているわけではないんだけれど、喉の痛み→咳→鼻水→くしゃみと、ひと通り出るものは出て、今朝は、油断していると鼻水がツーと垂れてきてしまう感じだ。

 いつもの時間に朝ご飯を食べて、コタツでパソコンを開いてごそごそしてたら、昨晩あんなに寝たのにまた眠くなって、しっかりと二度寝をしてしまっていた。
 家人は、僕の二度寝中に「出かけてきます」と声をかけ、僕もその時だけ横たえていた体を起こして、「いってらっしゃい」と答えたように思うのだけれど、確かな自信はない。
 目を覚ますと、すっかりと家の中にひとりぼっちな状況になっていた。勿論、そんなことはよくあることだし、それをいちいち寂しいと思うこともない。ただ、風邪をこじらせていたせいで、外に遊びに行くことを禁じられ、家でぽつんと留守番をしていた子供の頃の情景を、ふと思い出したりした。

 僕は、幼稚園から予備校まで、学校を公欠以外で休んだことがない。(厳密に言うと、高校1年生の時の、マラソン大会を休んだだけだ)
 このことから、うちの親父が導きだした疑問は、
  『なんでお前は東大に行けないんだ?」
ということだった。
 うちの親父の考えはこうだ。
 毎日毎日学校に通って、授業も全部受けて、おまえには漏れがないはずなのに、そんなおまえがなんで東大の試験に合格できないのか?
 まぁ、言いたいことは、わからないことはない。わからないことはないのだけれど、そういうもんなんだよ。
 しかも、元々、幼稚園に入るまでは病院通いが日課なくらいに体が弱くて、『この子は、学校もろくに卒業できないかもしれない』と、思われていたらしい。だから、東大に入るという親孝行はできなかったけれど、体質が変わったのひとことでは済まされないくらいに丈夫になったんだし、いいんじゃないのかな。

 学校は休まなかったけど、風邪はよくひいた。ほぼ、万年風邪と呼んでいいくらい、ちょっと鼻声だったり、軽い咳が出たり、でも滅多に熱は出なくて、大袈裟にはならなかった。
 ただ、熱が出ると、母親は村にある何でも屋で、食パンとカルピスを買ってくるのが常だった。
 まぁ、大抵、風邪がひどくなるのは冬とか寒い季節なわけで、カルピスっていうのはだいたいがお中元にはもらうけど、お歳暮にはもらわないような、基本的には夏の飲み物、清涼飲料水っていうことになる。だから、カルピスなんてものは、夏の間にすっかり飲み干してしまって、冬には残ってないもんで、冬にはわざわざ買ってこなきゃならないわけだ。

 風邪のときは、カルピスをお湯で溶かして「ホットカルピス」にする。それは、水で溶かしたいつもの冷たいカルピスとは違って、独特な味がする。ような気がしたし、今も、する。
 そして、その「ホットカルピス」に、食パンをそのまま焼きもせずに千切って、ひたひたと、カルピスの入った器の中にパンのもろもろが浮かぶのも気にせずに、浸してふやかして食べさせられた。

 僕らの時代、僕が住んでいた地域では、小学校の給食は来る日も来る日もパンだった。ご飯なんてものが出たことはない。食パンだったり、コッペパンだったり、たまに、黒砂糖パンだったりぶどうパンだったりはしたけれど、どれもパンからはずれることはなかった。
 そのせいもあってか、時代がそうだったのか、朝ご飯をパン食でなんて考えたことも、食べたいと思ったこともなかった。
 しかし、なぜかわが母親の頭の中では、「風邪をひいた子供には、温かいカルピスと、それに浸したふにゃふにゃの食パンを」というフレーズが刷り込まれていたようで、毎回毎回、僕が風邪をひいた時も、妹が風邪をひいた時も、これが繰り返された。そして、残った食パンは、珍しがりながら、親父が食べる。

 僕はどちらかと言えば、卵でとじたお粥のほうが、味としては、好物だった。しかし、「ホットカルピス」と食パンを食べていると、いつの間にか風邪も治っていった。
 あの「ホットカルピス」と食パンっていうのは、医学的なというか、風邪に対する処方箋的な意味があったんだろうか? 確かに、おなかに優しいという意味は理解できるんだけれど。
 今になって想像すると、あの「カルピス」という飲み物がまとっていた洋風な(勿論、正真正銘日本の飲み物だけど)、もしくは都会風な雰囲気に、食パンなんていう欧米文化がドッキングされて、わが母親の頭の中では、『これは絶対に効く』みたいな、一種の呪術のような確信があったのかもしれない。

 風邪をひいた時には、「ホットカルピス」と食パンを食べさせられたという人が、どれくらいいるのか、気になるところではある。
 もしくは、どこかに、そういう出典なり典拠があるんだろうか?