深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

冬の空と負け犬の遠吠え

cloudysky

 この兵庫県北部という土地にやってきて、早くも15年が過ぎていった。元々は、大阪生まれ大阪育ちの僕は、いまだに自分が兵庫県民であるという自覚がない。というか、自分が住んでいるところが兵庫県だということに、時々自信がない。
 その理由のひとつは、元大阪人の僕にとって、兵庫県とはどうしても神戸のイメージが刷り込まれてしまっているせいだ。大阪→東京→大阪と居を変え、初めて住んだ兵庫県がこの県北部だったわけで、どう見てもここは神戸ではないし(まぁ、神戸のはずはないし、神戸であってはいけないんだけれど)、にもかかわらず、神戸ではないということはここは兵庫県ではないという、自分で書いていてもとてもややこしい状態に頭の中はなっていて、僕の頭の中なりイメージなり身体感覚的に、ここは兵庫県ではないという結論に容易に結びついてしまうのだ。
 勿論、その結論が間違っていることは承知している。ここは、まぎれもなく兵庫県だ。神戸ではないけれど。
 と言うか、兵庫県が神戸だけではないことを、きちんと理解できなさすぎなんだろうか? どちらにしても、兵庫県が悪いわけでも、神戸が悪いわけでもなく、僕が悪いんだ、きっと。

 兵庫県っていうのは、瀬戸内海と日本海と両方に面している南北に長い県である。広島とか、岡山は瀬戸内海だけに面しているし、島根や鳥取日本海だけに面している。山口県は、本州の端っこだから両方に面しているにはいるけれど、ちょっとその事情が兵庫県とは違ってる気がする。なんせ、端っこだから。否応なく、両方に面してしまう的な。だって、北の果ての青森県だってそうだし。
 で、なにが言いたいかっていうと、要は、ここは山陰なんだよね、ってことだ。兵庫県は山陰じゃないだろって多くの人は思うだろうけど、少なくとも、鳥取県との県境から数10キロのところあたりまでは、山陰で間違いない。兵庫県だけど、山陰。
 じゃあ、山陰である兵庫県と山陰でない兵庫県との境はどこかと聞かれると、城崎あたりかなと、僕の感覚的にはそう思う。城崎は、兵庫県だ。じゃあ、ここは兵庫県じゃないのか?
 こんなふうに考えるから、自分が住んでいるところが兵庫県だという自覚に結びつかないんだろうな。でも、15年ここで暮らして感じるのはそういうことなのだ。あらためて住所を書けと言われれば、確かに兵庫県と書くんだけれど、なんだか15年経ってもそう書くことに一種の抵抗を覚えてしまう。
 「あれ?オレが住んでるのって、兵庫県でよかったよな?」みたいな確認が、住所を書き出す前の一瞬に必ずある。

 相変わらず、だからなんだって話でもないんだけれど、兵庫県民歴15年が過ぎてもまだまだ自覚に乏しいというだけの話だ。さすがに、大阪のW選挙と聞いて、「はて、誰に投票しようかな?」なんて寝ぼけたことは言わなくなったけど。(以前は、言ってたってことだけど)。
 そして、兵庫県民としての自覚よりなによりも、15年経っても慣れないのがこの冬の空だ。晴れ間がでることが滅多になくて、いつも曇天か、雨か雪にまみれた陰鬱な空が来る日も来る日もつづく。それが、思いのほか堪える。15年経って慣れるよりも、一層、その陰鬱さに負けて気分が凹む。困ったものだ。
 そして、そんな空を見上げながら、誰にともなく、「やっぱりここは兵庫県じゃないよな」なんて、バカなひとりごとを言っている。なんだか負け犬の遠吠えじゃないかと思いながらも、まるで八つ当たりのように、僕は今年も冬の空にむかってそう呟く。