どうしたわけか、またしても、はまってしまった。
車のオーディオでは、リピート再生が設定され、ここ何日もその曲しか聞いていない。
なんてことだろう。
まさか、もう一度、こんなことが起こるなんて。
前回、この曲にはまったのは、いつのことだったろう?
そうそう、確か、これだ(今更ながら、西野カナの『会いたくて、会いたくて』にハマった話)。
2013年の10月ということは、かれこれ、半年近くが過ぎたことになる。
あれで、僕のなかの西野カナブームは一応一段落ついたはずだったのだけれど、ここにきて、西野カナ再来とは。
厳密に言うと、西野カナ再来というより、『会いたくて、会いたくて』というその曲だけなので、西野カナの『会いたくて、会いたくて』再来と言うべきだろう。
では、なにが、またしても、僕をそんなに捉えたのかと言うと、やはり、あのサビの部分なのだ。
あれは、ほんとうに、ヤバすぎる。
会いたくて 会いたくて 震えるもう、このフレーズに、つきる。
キミ想うほど 遠く感じて
ちなみに、「もう一度 二人戻れたら」とか、「もう一度聞かせて、嘘でも、あの日のように『好きだよ』って」の部分には、あまり関心がない。
僕としては、ヨリを戻したいみたいな部分には、正直、共感するものがないのだ。
では、なにがまたしてもはまるくらいに響いているのかというと、会いたくても、会えないということなのだ。
なんで会えないのかというと、フラれたから、会えないのだ。
もう恋人同士じゃないから、会う必然がなくなってしまったのだ。相手にとっては。
ほかの歌にもあった気がするけれど、日常の中の出来事があって、
「これは、今度彼女に会った時に話そう。きっと、面白がってくれるよな」
なんて思ったあと、
「あっ、オレ、フラれたんだった。もう彼女と話すことはないんだ」
って、気づいたときの落ち込みようを、このフレーズはひしひしと僕に思い出させてくれる。
別に、僕はマゾっけがたっぷりなわけではないのだけれど、このフレーズに喚起される切なくも、純然たる『会いたい』という思いに、すごく共鳴し、共感してしまうのだ。
もう一度、言う。ヨリを戻したいという思いには、全然共鳴しない。不思議なくらいに。
かれこれ、30年ほど前に失恋した時には、ひょっとして彼女が戻ってくるかもしれないと、5年以上彼女の席は空けたまま待ってたけどね。
勿論、戻ってきてはくれなかったけれど。
そうそう、当時のこと、過ぎていく日常の中で、彼女にフラれたことすら忘れていくんだよ。彼女のことは、忘れてないのに、なぜか自分勝手に、フラれたことだけ忘れてて、なにかの拍子に、
「この週末は、どうかな、会えるかな」
なんて、いつものように思って、早めに電話しなきゃなんて慌てたりもする。
そして、
「あっ!」
って、思い出す。
実はもう会えないんだってことを。
これから先、おそらくもう二度と、彼女に週末の予定を尋ねるために電話することも、デートの約束を交わすこともないんだということを思い出して、胸がドキドキするくらいに、凹んだ。
「あぁ、会えないんだ」
って、あんなにも哀しくて、ズキズキこたえた日々があったんだよ。
すでに、30年も経ったけれど。
会いたいって願っても 会えない
強く 想うほど 辛くなって
そうなんだよなぁ、と、なぜか、ふむふむとうなずきながら、この曲ばかりを聞いてしまう。
おそらくこの曲に出会うために、僕は、30年前に彼女にフラれたんだろうな。
きっと、そうに違いない。
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