深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

病後について思うこと、つらつら(ほぼ、泣き言…)

workorlife

 ダメだった。今朝も、遅くとも7時半には起きるつもりだったのに、アラームを2回かけ直し、結局やっと起きられたのは9時半過ぎのことだった。
 僕は、今日のような午後から出勤のときや、休みの日も、7時半には起きるようにしている。
 朝起きて、昼働いて、夜には寝る。
 基本的な生活リズムを守りたくてそうしているわけなんだけれど、生活リズムを守りたい大きな理由としては、朝、昼、晩、と、だいたい同じ時間に食事をとりたいというのがある。

 プロフィールにも書いてあるように、僕は3年前に重症急性膵炎で2ヶ月の入院生活を送った。今もずっと薬を飲みつづけていて、主治医によると、死ぬまで飲みつづけなければならないらしい。おまけに、ここのところ、まったくもって守られていない食事制限がある。
 入院生活と同じような生活リズムを維持すること。それが、これ以上悪化させないための一番の薬だということは、僕だって、頭ではわかっている。

 国の難病指定にもなっているこの病気の、病気にかかる前の職場復帰率は、あまり高くない。
 とにかく、疲れを溜めないことと、ストレスを溜めないことというのが、職場復帰にあたっての主治医からの指示だった。言うまでもなく、彼だってそんな夢のような仕事があるなんて思ってないので、「無理だろうとは思うけど」と、言い訳のようなひとことを添えた。
 1年後の再手術の夜、真夜中にナースステーションのパソコンのモニターをふたりで見ていた。手術の説明に入る前に、彼は、画面に映し出された大きな胃潰瘍の姿に、「これでよく働いてたなぁ」と、苦笑いした。
 処方されていた痛み止め薬は、とっくになくなっていたし、夕方近くになって、空腹になる頃、僕は額に脂汗を浮かべながら、声も出ないような痛みに耐えながらも働きつづけていた。
 あのとき、それ以外にどんな選択肢があったのだろう?

 少し前、職場で一緒だった方が、亡くなった。
 元々病気をもちながらの勤務でもあり、僕の病後を心配してくださっていた方だ。
 そんなに長い間、ふたりっきりで言葉をかわす時間はなかったけれど、その人が、僕に投げかけてくる執拗と思えるような同じ質問に、僕はその人の余命が告げられていることを悟った。
 そうだ、僕はその人が話す言葉の奥に埋もれた、「僕は逝くけれど、キミは、大丈夫なのか?」という言葉を、聞いた。
 その人が退職していった日、僕は、ふたりきりの部屋で、ただただ長く深く頭を下げた。

 韓国で脳溢血で倒れたという男の人に、出会った。まだまだ、僕よりも若い、40歳になるかならないかくらいの人だった。
 海外での入院生活や、奥さんや家族に迷惑や心配をかけて、しばらく頭があがらないなんて話で盛り上がったあと、職場復帰して1ヶ月だという彼に、
 「一番、しんどい時ですね」
というと、一瞬、彼の表情が変わった。
 まずいことを、奥さんの前で言ってしまったかなと、僕は、自分の不用意な言葉を少し後悔した。
 しかし、彼は、気を取り直したように、
 「そのとおりです」
と、言った。
 「自分がはじめてその状況になって、『病後』っていう言葉の意味を知りました」
と、言い、
 「そうそう、こんなことなら入院中の方が楽だったのにって思いました」
と、僕も、返した。

 時々、いつまでが病後なんだろう?と、思う。あの病気から3年、今も、病後なんだろうか?
 自分でもさっき書いたように、病気が治ったわけではない。たとえば、事故で指を切り落とした人の出血を止めることはできても、欠損した指そのものを元に戻すことはできない。
 壊死した膵細胞は、再生されることが今の医学では望めないし、摘出した胆嚢を戻すこともできない。
 病後を乗り越えれば、病気前の生活や元気が戻ると、漠然と考えていた、そのこと自体が、間違っていたのかもしれないと、思いはじめている。
 そうだ、きっと、僕の病後は終わっているのだ。
 僕は、この体に見合った生活や仕事、暮らしを構築していかなければならない気がする。
 娘と交わした、あと10年は頑張って生きる、という約束を果たすためにも。