深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

僕の”クリスマス・キャロル”

 仕事を終えて、僕は仕事場の駐車場にたどり着いた。外灯の少ない暗がりの中、車屋が教えてくれたナンバープレートの番号を頼りに、車屋の代車を探した。やっと見つけた車は、お世辞にも礼が言いたくなるような車ではなかった。僕の180センチ近い体を乗せるには、少々小ぶりな軽自動車は、暗がりの中でも、薄汚れているのがわかるくらいの代物だった。
 代車なんてそんなもんだよな、と、自分を慰めつつも、自然とため息が出た。
 僕は、頭を打たないように窮屈な思いで車に乗り込み、まずはじめに、シートを乱暴に思いっきり後ろに移動した。
 そして、またひとつ、ホッとため息をついた。ある程度、足元に余裕はできたものの、なんだか天井が近すぎて、頭のあたりにストレスを感じないわけにはいかない。僕の頭と天井のあいだには、わずかばかりの空間がしっかり確保されているはずにもかかわらず、僕は首を折っていなくては天井に頭がぶつかりそうな、不安と圧迫感に更に苛ついた。
 そして、もう一度、ため息をついたあと、エンジンをかけた。と同時に、予想もしてなかった大音量のラジオが、車内に流れ出した。まず、その結構な音量に驚き、そして、その不快な音に顔をしかめた。なぜなら、この駐車場は電波の入りが極端に悪く、ラジオはバリバリという低音と、ヒューという高音が混じりあい、耳障りなノイズだけを吐き出してくる。
 ラジオくらい消しておけよ…、バカ。
と、僕は声に出して吐き出した。
 そして、慌ててラジオを止めようと、スイッチを押した。つもりだったけれど、そうだ、これは僕の慣れ親しんだ車ではなかった。押したつもりの場所にスイッチはなく、いつまでもラジオはやまない。僕は当てずっぽうに、スイッチを探してみる。しかし、初めての車で、暗闇の車内で、どこにスイッチがあるのかわからない。
 もう一度、今度はかなりイラついて怒気を含んだため息をついた。勿論、ため息でラジオが静まるはずもなく、僕はラジオのスイッチボタンを見つけられるよう、車内を明るくするための室内灯のスイッチを押そうとする。しかし、今度は、そのルームランプのスイッチが見つからない。
 くそ、だから、軽自動車なんて…。
と、八つ当たりだとはわかっていながらも、僕は毒づかずにはいられなかった。

 不意に、一瞬、外が、明るくなった。
 今度はなにが起こったんだ? と、訝しがりながらも、点滅したオレンジがかった光に気づいて、それは、隣りに駐車された車が、リモコンで開錠され、ハザードが点滅したためだったと理解した。
 隣りにあったのは、誰の車だったっけ?
 代車を探し出すことに精一杯で、そんなことを気にかけてもいなかったけれど、ついさっきまでの記憶を辿って、代車を見つけた瞬間、それがその人の車の隣りにあって、ほんの少しだけ、嬉しかったことを思い出した。別に深い意味があって嬉しかったわけではなく、少なくともいつも不機嫌な上司や同僚のものとわかる車の隣りよりは、いいかなっていうくらいの意味だ。
 その人はいつも笑顔にあふれ、社内でも男女を問わず誰にも好かれている人だった。仏頂面の上司も、その人の前ではデレデレと鼻の下を伸ばし、どこか体の一部にでも触わろうと、言い訳と機会を虎視眈々と狙っている。そんな男たちの思惑に対しても、それを怒りや蔑みではなく、笑顔で上手にかわしてしまう人だった。
 いつかは、部下の女の子が、
 「○○さんて、悩み事もなくて、いつもヘラヘラ笑って、幸せでいいですよね」
と、その笑顔を皮肉っぽく評したことを思い出した。

 だから、僕は、驚いたんだ。その人が、車に乗り込む姿を見て。
 闇雲にラジオのあたりを押しまくって、幸運にも、僕の当てずっぽうな指がラジオのスイッチを押し、やっとラジオが黙った。車内はさっきまでの無意味な喧噪が嘘のように静まり返り、その人の靴音と、隣りの車のドアが開く音だけがした。
 その人の車の助手席をはさんだ向こう側、車内灯に照らし出されて、運転席に滑り込む、その人の姿が見えた。
 なんだろう、この違和感は? その人の様子が、いつもとは違って見えた。その違和感を、僕は最初、室内灯の暗い明かりに照らし出された顔が、やけに老けて見えたせいだと思った。しかし、そう考えても違和感は消えない。もう少し考えて、その違和感が、その人の顔に笑みがないことだと気づいた。
 当たり前すぎることだけど、勤務が終わって、駐車場で自分の車に乗り込むのに、いちいち笑顔を作る者などいない。しかし、笑顔ではないその人の顔に違和感を覚えるほど、僕らはその人の笑顔に慣れていた。勿論、同じ職場で働いているとき、その人がずっと笑顔なわけはないはずで、時には真剣な表情で電話に出ていたり、クレームに対して神妙に謝罪していたり、笑顔ではない顔を見ているはずなのに、なぜかその人を思い浮かべるとき、笑顔のその人しか思い浮かばない。
 僕らのイメージは、どこまでも、いつも笑顔で、幸せな人。

 しかし、一日の仕事を終えて、帰宅前の、自分の車に乗り込むその一瞬、僕は見てしまったのかもしれない。ありのままの、その人の姿を。というよりは、笑顔にばかり気を取られて見ていなかったその人の素顔に、初めて気づいたのかもしれない。
 室内灯の薄明かりに包まれて、少し疲れたような素顔の向こうに、まぎれもないその人の素のままの人生までもが見えた気がした。
 これから、家に帰る途中にスーパーマーケットに立ち寄って家族の夕飯の買い物をすませ、帰宅してからは出勤前に干したベランダの洗濯物を急いで取り込んで、足元にじゃれつく飼い猫の頭をひとつ撫でて、猫の餌と水を換えてやり、夕飯の支度をはじめる。
 スーパーマーケットのレジの列に並び、財布の中のお金の残りを見て今月のやり繰りに顔を曇らせながらも、会計をすませるときにはレジ係の人に笑顔で「ありがとう」と言う。洗濯物を取り込むときには、娘さんのブラウスからなかなか落ちない襟汚れに眉をしかめ、自分の新しいブラウスを我慢して娘のを先に買おうと決断するのかもしれない。飼い猫の頭を撫でながら、倦怠期の旦那と反抗期の子供たちを思い、思いもかけず涙がこぼれ落ちるのかもしれない。そして、涙を拭うと、「よしっ」と声に出して、誰もいない台所で、その人はまた笑顔を作ってみせるのかもしれない。

 ほんとうに、その人の日々の暮らしがそうなのか、僕にはわからない。これから、ほんとうにスーパーマーケットに立ち寄るかなんて、勝手な僕の妄想にすぎないわけで、ひょっとしたら、うちの会社でのパート勤務も、経済的な理由など微塵もなく、旦那さんにも大切にされ、できすぎのような子供たちに囲まれ、思わず笑みが溢れ出さずにはいられないような暮らしなのかもしれない。
 でも、僕もあなたも知ってのとおり、おそらく、人生って、そんなもんじゃない。

 今度は暖房のスイッチがわからなくて、僕が車内で震えはじめていると、その人の車が、ゆっくりと発進していった。
 室内灯は、車のドアが閉じられるとしばらくして消えてしまったため、その人の姿は二度と見えなかった。にもかかわらず、その運転席のぼんやりとした闇には、僕には僕にしかない、そして僕しか知らない僕固有の人生があるように、その人のその人だけの人生が、座っているような気がした。
 僕以外の誰かも、日々の営みを必死で紡いでいるんだという実感。その人間らしい温もりと、畏敬。過剰に何かを足したわけでもなく、敢えて何かを差し引いたわけでもない、その人のその時の一度きりの人生のありよう。
 突然そんなものに気づいた僕は、むしょうに僕以外の人々の人生が愛おしく思えてきて、駐車場を出て行くそのテールランプを見送りながら、その人というよりは、その人の人生にむかって、こう呟いた。