深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

結局またしてもRollbahnダイアリーを買ってしまった2019年の秋

 正直なところ、来年のダイアリーをどうしようなんてことすらすっかり念頭になかったのだ。なぜなら、数年来ダイアリーを買っても長続きしない。もって半年、今年のなんてはじまり月の去年の10月を埋めただけで、ダイアリー上では今年にすらなっていない。そして、まぁ、もうダイアリーなんていらないよなというのが結論だった…はずだ。

 だいたい僕にはダイアリーなんてものは不向きなのだ。

  • 自分の書く文字が好きになれない
  • そもそもスケジュール管理しなければならないような日常を送っていない
  • 飲み会がない
  • 記録しておくような日常がない
  • デートがない
  • 友だちがいない
  • って、なんだかさびしい記事になってきた。

     そもそもRollbahnのダイアリーが10月はじまりなのがよくない。(以前の記事では10月はじまりだからいいって書いた気もするけど)いや、10月はじまりでもいいんだけど、8月の下旬あたりから発売しておいてダイアリーが10月はじまりなのがよくないのだ、たぶん。僕は毎年10月が待てずに勝手に9月のカレンダーを付け加えて9月からダイアリーを使用してきた。手に入った以上早く使いたいから。そして、そんなワクワクも数ヶ月もしないうちに僕の怠惰に負けてしまう。

     なわけで、もう一度言うけど、「もうダイアリーなんていらないよね」、っていうのが結論だったはずだ。
     にもかかわらず、RollbahnダイアリーのL版が一冊僕の手元にある。二階建てバスが表紙の一冊だ。

    2020Rollbahn_Diary

     相変わらず、自分の書いた文字を見ているとなんだかイライラするというか、気恥ずかしいというか、まったくもってワクワクしないのだ。自意識過剰なのはわかっているんだけれど、なんとも悪い意味で心がざわつく。
     そして、今年もはじめてしまったダイアリーをもつ生活が(なんて大げさな言い方だろう)、まったくもって長続きする気がしない。でもって、長続きしないことすら気にしていないといった感じなのだ。まぁいらなくなったらなったで使わなければいいだけのことだし、みたいなこの心の余裕はなんだろう? いや、これを心の余裕なんて崇高な呼び方をしていいんだろうか? いや、いいはずがない。これはただの無駄使いじゃないのか?

     無駄遣いになるかならないかは、今後の僕次第なのだ。

     いや、ちがう、ちがう、そもそも長続きしないことが前提だったはずだ………。って、たかだか一冊のダイアリーのことでなにをわちゃわちゃ言ってるんだろう。

     とにかく、というか、またしても僕はRollbahnに負けて買ってしまったのだ。そして僕はそもそもの目的はともかくRollbahnのダイアリーを手にして満足している。買っただけで読んだ気になる積ん読にも似た感情だろうか。いや、違うのかな…、違わないのかな…。
     どちらにしても、もう買ってしまったのだから仕方ない。1ヶ月つづくかどうかもわからないけれど、僕はRollbahnダイアリーがある生活をはじめる。(だからそんな大げさなことじゃないんだけど…)

    やはり来年(2021年)もRollbahnダイアリーを使うことにした