深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

2016年があと10日で終る

calendar_2016Dec

 だれもこのブログの更新を心待ちにしている人などいないことは、重々にわかっているつもりではある。にしても、今年は前回の更新が4月で、その前にあたる前々回の更新が昨年の12月だというのだから、2016年の更新はたったの1回だけということだ。わざわざサーバをレンタルしてまで運営しているブログとは思えないテイタラクである。書くことのめんどくささを思えば、敢えてこのままでもいいような気もするのだけれど、その後の2016年について書いておかないとスッキリと年が越せないような気もして、駆け足ながら前回の更新以降の日々について書いてみようと思う。

 書きたいことがなかったわけではない。今年の1月に治療に専念するため職場を離れた1歳違いの上司が、二度とその顔を見ることもその声を聞くこともなく逝った。心の片隅では、そんな最悪な結果もあるんだろうかと訝りながらも、人は都合のいいように解釈するものだから、「だったらなにか言ってくれるんじゃないか」と、本人からでなくともまわりの誰かからなにか伝聞でもあるだろうと曖昧な気分でいたところに、訃報が届いた。
 僕の第一声は、「なんで?」だった。「なんで死んでしまったんですか?」「なんで生き延びなかったんですか?」それは死者を鞭打つ言葉だろうか?
 7年前、僕も危うく死の側に転げ落ちるところだった。僕自身は自分が死にかけているなんて自覚はなかったのだけれど、あとあとになって看護士さんからいろんな話を聞いて、自分が死の淵に立っていたことを知った。恐怖は、あとからじわじわと押し寄せてきて、僕はひとりベッドのうえで震えが止まらない夜を過ごした。まだ諦めていない死神が、僕の足首を掴み、今度こそ死の谷底に放り込みに現れるような気がして。
 前にも言ったかもしれないけれど、歳をとると、やたらと他人の死がこたえる。ましてや、身近にいて年齢も近かったその人の死はこたえた。仲がよかったとか、好きだったとか、そんなわけでもないのに。その死は、ひどくこたえた。
 特に、「体調不良がわかったあの段階で、もっと早くに医者にかかってたら」と、その人が悔やんでも悔やみきれない悔しさに臍を噛んだであろうことを想像すると、苦しくて息が詰まる。
 そして、やっぱり人は死ぬんだと、あらためて思った。勿論、僕もその『人』のなかに入っている。可愛い娘がいようとも、やり残した『なにか』があろうとも、人は死んでいく。

 電通の女子社員の自殺というニュースも、僕にはこたえた。今もうまく消化できないまま、僕のなかでわだかまっている。
 彼女の自殺に対して、「電通に入ってはいけない人が、電通に入ってしまった」と評した人がいた。それは、どういうことなのだろう? 長時間労働長時間労働とも思わずに働ける人だけが、電通に入るべきだということなのか。真面目ではなく、不真面目に生きられる人だけが、電通に入るべきだということなのだろうか? 仕事も趣味も家庭もプライベートもすべてが一体になって消化できる人だけが、電通に入るべきだということなのか。
 彼女の自殺の真相というか、僕には彼女の自殺の理由はこれだなんてわかりようがないのだけれど、彼女の苦痛について僕は勝手に想像してしまった。海水魚が、淡水のなかで不器用に喘ぐように泳いでいる姿。もしくは、陸に打ち上げられた魚が、水を求めてのたうちまわる姿を。
 死ぬくらいなら、逃げればよかったのに、電通なんて辞めてしまえばよかったのに、と、僕も思う。そうできればよかったのにと。でも、彼女にはできなかった。電通を辞めるだけでは解決できないくらい、絶望は深かったのだろうし、心は回復不能に思えるくらい傷つきすぎていたのかもしれない。電通を辞めたとしても、この社会をこれから50年60年生きていかなければならない。会社も、社会も、人間も、彼女が思っていたよりもずっと薄汚れていると、彼女は思ってしまったかもしれない。いくらのたうちまわっても、海には戻れない。ある人には、そんな境界などないのかもしれないけれど、ある人には、学生と社会人のあいだに不気味で暗い溝のような境界線がある。
 努力が報われないシステム。真面目が報われないシステム。ダブルスタンダード、トリプルスタンダード、いや、もはやどれもスタンダードですらない。疲れ果てて、疲れ果てて、その先になにも見えなくて、「もういいやこんな世界」って思ったのかもしれない。

 それから、話はころっと変わって、前回クロスバイクを購入したという話の続編。
 いま振り返ると、ひとえに僕自身の筋力と体力のなさが原因ではあるのだけれど、クロスバイクが全然快適でなかったのだ。ママチャリとは違って、すいすいと颯爽と走れるはずが、まるで前に進まない。坂道も登らない。そして、20年以上前に乗っていたロードバイクと違って、車体もひどく重たく感じられた。
 と、そんなとき、自転車屋のおやじさんが僕の耳に囁いたのだ。「クロスバイクを下取りするから、ロードバイクにしなさいよ」って。
「えっ? まだ、買って1ヶ月経ってないよ」
「そんなの関係ないよ。結局、ロードバイクに乗りたくなるって」
「いや、そんな金ないし」
「だから、高価下取りしてやるって」
なんて話をしていたら、いつのまにか、TREKのカタログを見てロードバイクを選んでいた。ペダルの種類をどうするか(シューズの種類をどうするか)で悩んだけれど、結局のところビンディングを選んだ。
bicyclesea  で、かれこれ、ロードバイクに乗って8ヶ月になるのだけれど、ファーストインプレッションで言うと、「あれ? ロードにしても重い。ロードにして、ビンディングにしても、思ったほどすいすいと前に進まない」ってことだった。あっ、失敗したかも………。とか言いながらも、走ってる。なかなかアベレージ30km/hが出ないけど。今のところの最長としては、8月に180km/day走ったし、とても気持ちよかった。身体のもつかぎり、ずっと乗りつづけたいと思ってる。

 それから、Pythonつづけてます。僕が言う「つづけてます」は、まぁ、放り投げないで細々と時折やってますって感じのことです。新しく本を買うたびに、環境構築で苦戦してるけど。最近でいうと、スクレイピングとやらをちょこちょこ試してます。やっぱり動きがあるやつがいいなと思う。いつまでつづくかはわからないけど。
 画像認識とか、顔認識もおもしろそうだなとは思ってる。みんなそう思ってるだろうけど。奇しくも、数年前にこのサイトをバズらせてくれた清水亮くんとやらが、人工知能や深層学習といった本をたてつづけに出してるし、こじつければこれもなんかの縁かなと思ってみたりしてる。

 あと、今年の楽しみといえば、クリスマスに更新されるであろうはずの加藤はいねのブログだろうか。
 なんだか今年は、地味な1年だったんだろうか? いやいや、そんなわけでもなかったはずだ。重症急性膵炎ののち、今年はほんとにやっといろんな意味で病後でなくなったなというか、戻ってきたなって気持ちになれたし。
 1月から4月までは、頑張りすぎたかなってくらい仕事したし。そのせいで膝を悪くして今も治らないでいるし。
 でもまぁ、生きているし………。