人間とは、いかなる環境やものにでも、いつかは慣れてしまう動物だと、高校の世界史の大西は、僕らに言い放った。
そうだ、発端は、授業中だった。
話の流れは忘れたけれど、
『オレ、実は、学生結婚だったんだ』
と、当時30代半ばだった大西が、言い出した。
それを聞いた僕らは、『学生結婚』というひとことから、一気に下衆で下半身的な妄想へと暴走し、
「大西〜、てめぇ、学生の頃からやりまくってたのかぁー」
と、責め立てるように、大西を囃し立てた。
だって、僕は、17歳で、女の子の唇さえ知らなかった頃の話だ。
そして、そんな僕らに対して、大西が放った、大人としてのひとことが、
『人間とは、慣れる動物だ』
という名言だった。
しかも、童貞ぞろいの男子高校生だった僕らに対して、
『あんなもん、結婚3年目くらいでとっくに飽きるわ』
とまで言い放ったのだ。
勿論のこと、若き妄想の虜であった僕らは、
『大西〜、もう、飽きるほどやったんかぁ〜』
という、更なる、妬みまみれの妄想をかきたてたのだった。
というわけで、僕も、大西の真似をして、『人間とは…』と、語ってみようと思った。
それが、
『人間とは、思いやりで、できた動物だ』
だった。
ただ、それだけの、話。
あとの話も、先の話もない。
ただ、それだけで、ただ、それでいいじゃないか、という話。
人間という動物は、思いやりでできている。