深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

キミはジャイアントパンダを見たか?---キミはカモノハシを見たか?番外編

 タロンガ動物園に到着したぼくが真っ先に探したものは、カモノハシの定休日の告知だった。どこかに『本日カモノハシはお休みです』というINFORMATIONのボードがないかをチェックしたのだ。動物園の休園とは別に、特別な休暇がカモノハシに設けられているのかは知らない。しかし、動物園が営業しているからといって、そのすべての動物が見られるわけではないことを、ぼくは身をもって知っている。

 昔々、パンダブームというのが日本にあったことはご存知だろうか?いま現在がパンダブームかどうかはわからないけれど、パンダが日本にきて以来ずっと人気動物の1位2位を争う座にいるのは確かだ。
 1972年、時の首相である田中角栄氏と周恩来氏のもと日中国交正常化が実現された。その記念にと中国から東京の上野動物園にやってきたのが、ランランとカンカンと名づけられた2頭のパンダたちだ。その愛くるしい姿をひと目見ようとする人々は、東京や関東一円はおろか日本中から押し寄せて上野動物園は連日の大賑わい、一大パンダブームが巻きおこった。

 この話はそれから3年近く経った頃、1975年の春のことだ。僕の小学校卒業祝いという名目で、僕たち家族は大阪から東京見物旅行に行くことになった。なんの前置きも前触れもなく、父親が突然にそう決めたのだ。
 父親には、小学校を卒業したら記念に富士山に登るぞと前々から言われていたので、家族旅行に行くと言われててっきり富士登山に出かけるものだと思っていた。僕としては苦しい思いをして山を登るよりも、可愛いパンダを見る方がいいに決まってる。今ならブームも落ち着いて、ゆっくりと見られるに違いない。
 しかも、山なんて家の近くにいくらでもある。大阪と言っても僕らが住んでいるのはそういう地域だ。通学路は田んぼの中の一本道を歩いていく。30分くらいかけて。山道でないだけマシかな。富士山よりもテレビでしか見たことのない大都会、東京。厳密に言えば、富士山だってテレビでしか見たことないけど、ここではいいことにしよう。ひょっとしたら、天地真理とか山口百恵に会えるかもしれないとまではさすがに思わなかったけれど、スターたちと同じ空気を吸えるんだと思っただけで、12歳の僕の胸は痛いほどに高鳴ったものだった。

 しかしながらそんな僕の東京への期待を無視するかのように、新幹線で東京駅に着いた僕らがまず目指したのは、東京タワーでも上野動物園でも浅草でもなかった。
 僕らは、その日、日光東照宮を目指していた。電車の窓から見えていた都会らしい高層ビルの姿が、どんどん消えていく。そして、ついには、車窓から見える景色が大阪の田舎で暮らしているのと代わり映えしないようなものになっていくのを、僕は寂しいような残念な思いで眺めていた。
 今ならはっきりわかる。日光は栃木県だ。埼玉すら通り越しているのが栃木県だ。そこは紛れもなく田舎だ。僕は地理に弱いし方向音痴ではあるけれど、そういうのは皮膚感覚的にわかる。

 そこであらためて調べてみた。日光東照宮まで、新宿か浅草から電車に乗って2時間。東京や東京近郊に住んでる人なら、ちょうどいいくらいかもしれない。日帰り旅行とかには。けど、僕らは、その日、大阪の片田舎から出てきていた。
 自分の家から東京駅までで、すでに最低でも5時間くらいはかかってるはずで、そこから、さらに2時間。
 乗り継ぎのために降りた東武鉄道のとある駅で、父親が、「えらい遠いとこまで行かなあかんねんなぁ」と、路線図を見ながら思わずぼやいたのを、僕ははっきりと覚えている。

 おそらく、父親は知り合いの旅行業者に丸投げで旅行を頼んだのだと思う。詳しい要望も伝えずに、旅行業者の説明もほとんど聞かずに。
 「とにかく、新幹線で東京に行って、どっかに泊まって、あとは適当に東京見物して帰ってくるわ」
って、感じだったんだと推測する。パンダを見たいとすら伝えてない気がする。
 もしくは、その時もなにかの思いつきで、
 「日光東照宮って、遠いんか? 行ってみたいんやけどなぁ」
なんて、余計なことを言ったのかもしれない。
 そして、旅行業者も適当に、
 「いや、東京からなら近いもんですわ。ほなら、泊まりは、鬼怒川温泉なんてどうでっか?」
なんて言われて、
 「ほなら、それでええわ、まかせるさかい、あんじょうしといてぇな」
ってことで、話がついたような気がする。いや、きっと、そうだったに違いない。なんて奴らなんだ。

 そんなわけで、小学校を卒業したばかりの僕と3歳違いの妹は、鬼怒川温泉なんていうとっても渋い温泉地に泊まることになったのだけれど、宿のことや温泉地のことはまるっきり覚えていない。僕らに鬼怒川温泉のよさが十分に理解できるとも思えないし。
 ただ、この旅行以来、鬼怒川温泉にも日光東照宮にもおそらくは栃木にも行ったことがないので、ある意味貴重な経験になっているのは間違いない。
 特に、東照宮徳川家康を祀ったものであることと、薬師堂の内陣天井に描かれた鳴龍の下で、何度も何度も手を打ってその反響を繰り返し試したことは強く記憶している。
 左甚五郎の作と言われている、国宝の『眠り猫』を見た記憶は、あるような、ないような感じで、どちらとも自信をもっては答えられない。その当時、宮内では一部修復工事がされていて、すべてを見られたわけではなかったことは覚えている。
 ちなみに、左甚五郎の読み方は、「さだごろう」じゃなくて、「ひだり じんごろう」又は「ひだ じんごろう」だから、間違いのないように。諸説はあるものの、江戸初期の伝説的彫刻職人だ。諸説あると言うのは、彼の作とされるものを時系列に並べると、300年くらい生きていたことになってしまうため、その実在を疑う声もあるし、「左甚五郎」というのは個人の名前ではなくて、腕のいい彫刻職人の代名詞的に使われていたとも言われている。

 翌日は、上野動物園に待望のパンダを見に出かけた。わざわざ、栃木県の鬼怒川温泉を出発して、片道2時間以上かけて。最終的には東京駅からまた新幹線に乗って大阪に帰るのだから、そうするしかないのはないんだけれど、今振り返ってみてもこの移動時間がすごく無駄でもったいない気がする。
 この鬼怒川温泉ー東京間の行程について、僕に一切の記憶がない。多分、なにもなかったんだろう。もしくは慣れない電車移動と、栃木とはいえ関東圏にいることの緊張感で疲れ果て、家族4人とも電車の中で爆睡していたのかもしれない。
 そのせいもあって、僕の記憶は鬼怒川温泉からいきなり上野動物園の入場口前につながってしまう。

 それは、テレビでいつも見ていた、あの上野動物園の入り口だった。
 名作、『かわいそうなゾウ』の、あの上野動物園
 日本で唯一パンダがいる、あの上野動物園
 その園内に入った途端、僕は妹の手をひっぱるようにパンダ舎を目指してズンズンと歩いているつもりだったけど、いつの間にか走っていた。
 母親が、うしろから僕の名を呼んだ気もする。
 父親が、「勝手に行くな」と、怒ったような気もする。
 でも、僕はもう止まらなかった。僕の顔には、すでに笑みが浮かんでいたことだろう。あのジャイアントパンダが見られるのだ。その近くにはレッサーパンダがいることも、『小学5年生』とか、そういった類の雑誌で読んで知っている。
 でも、僕が見たいのは、あの白黒のジャイアントパンダなのだ。そして、やっと、僕らは、その本物のジャイアントパンダをこの目で見られるのだ。正真正銘のナマパンダなのだ。
 しかし、見る前から嬉し涙が流れるほどの感慨のなか、パンダ舎の前で僕らの行く手を阻んだのは、1枚の看板だった。
 そこには、こう書かれていた。

 『本日、パンダはお休みです』

 ん? なんだか、いまいち言っていることというか、書いてあることが理解できない。
 僕は小学校を卒業したてだった。でも、この看板の漢字はすべて読めるし、その意味もわかる。
 だけど、なんだかよくわからなかったのだ。
 「休み」って、どういうこと? 上野動物園はちゃんと開園していて、だからこそ僕らはここにいるわけだ。でも、「休み」なの?
 なにが?
 そう、パンダが。
 ん? いや、そう言われても、ちょっと待って。
 僕は、懸命にその意味を解釈しようとした。
 そして、残念ながら、ひとつの答えに思い至った。
 動物園自体はやってるけど、人気者のパンダは特別に休暇が設定されているということなんだろうか? ほかの動物たちがみんな働いているなか。
 いや、そんな不公平がまかり通って許されていいんだろうか? 僕は担任の久保先生に問い詰めたい気持ちだった。
 僕は、いつかどこかかなり以前に、そんな記事かニュースを目にしたか耳にした気もした。
でも、パンダブームからはもう何年も経っていたし、そんなことすっかり忘れていた。
 だとしても、なんで今日なの? 今日は春休みだよ。
 しかも、僕らは大阪の片田舎から東京に出てきて、わざわざ鬼怒川温泉に泊まって、またあらためて東京に出てきたんだよ。
 なのに、
 『本日、パンダはお休みです』
って、どういうこと?

 僕の顔色が豹変したことに気づいた妹が、
 「お兄ちゃん、どうしたん? パンダは?」
と、緊迫した声で尋ねた。
 僕は、兄だ。妹が生まれたそのときから。
 「ねぇ、パンダは休みって、どういうことなん?」
と、不安そうに重ねて尋ねる妹に、
 「うん、ジャイアントパンダは休みなんやて」
と、答えた。
 「えー? なんで?」
 「ジャイアントパンダは人気者でごっつうようさんの人に見られるから、疲れやすいねん。多分、僕らに春休みがあるように、パンダにも春休みがあるんやで。兄ちゃん、そんなん知らんかったわ」
と、自分に言い聞かせるように、僕は妹に説明した。
 その僕の声は、震えていたかもしれない。得も言われぬ怒りのせいか、やり場のない悲しみのせいか。
 「でも、せっかく大阪から来たんやで。もう今日は帰るんやで。ちょっとくらい、見せてくれるんちゃうん」
 妹の言うことは、ごもっともで、僕だって誰かに向かってそう叫びたかった。
 しかし、どうあがいても、あきらめるしかないことを、なぜかあのときの僕は納得はしていないものの理解していた。

 どうしようもないのだ。
 僕らに追いついてきた両親もまた、看板に気づいて言葉を失った。
 僕の父親も母親も、子供である僕の目から見ても、そういうことにはとても疎い人たちだった。
 事前にそんなことを調べる人たちでもなかったし、そんなときに気の利いたことを言える人たちでもなかった。
 母親がきつい視線を父親に送っているのが見えた。そして、父親が憮然としながらも、僕と同じうように、その怒りや僕らの運のなさやいろんなものをどこにぶつけていいかわからずに、途方に暮れているのがわかった。
 「日光なんて行かずに、昨日すぐにここに来てたら、パンダが見れたのに」
 そう思うと、くやしくてくやしくて仕方なかった。だけど、そう思いながらも、それは言えなかった。そういう逃げ場をなくすような、トドメを刺すようなことは言ってはならない。おそらく言えばその場で殴られていただろうけど。

 「あんな、洋子ぉ、ほかにもパンダがおるんやで」
 僕は、半ベソの妹に話しかけた。それが気休めにすぎないことは、僕自身が一番わかってたけれど、そう言うしかなかった。
 「ほんまか? なんや、ほかにもパンダがおるんか」
と、父親がここぞとばかりに割って入ってきたけれど、
 「それ、レッサーパンダやろ? 言うと思ってたわ」
と、妹が、妙に冷静に返してきた。
 「うん、そのとおりや。でも、まぁ、しゃあないやん」
 「うち、ジャイアントパンダが見たかったのに」
と、地面をにらみつけている。
 「そうやなぁ、でも休みなんやから、どうしようもないわ」
 「ズル休みなんちゃうん」
 (えっ?)
 「この前、みっちゃんは風邪引いて休んだって言うてたのに、ほんまは家族で天王寺動物園に行ってたんやで」
 「へぇ、そうなん。ほら、嘘は、アカンなぁ」
 「そやろ、でも、お兄ちゃん内緒やけどな、わたしも死ぬまでに一回くらいはズル休みしてみたいわ」
と、なんだか話がどんどん逸れていくうちに、少し気持ちが和らいできたりもした。

 レッサーパンダは、パンダというよりは、どうしてもタヌキに見えて仕方なかったけれど、僕ら家族4人は「これだってまぎれもないパンダなんだ」とお互いに言い聞かせながら、熱心にその姿を見ていた。
 説明しておくと『レッサー』というのは、小さいという意味だ。ジャイアントパンダの『ジャイアント』に対して、『レッサー』なパンダということで、その名前がついた。ジャイアントパンダが注目を集めるまでは、元々レッサーパンダがパンダだったのだけれど、いつの間にか人気者のジャイアントパンダのことをパンダと呼ぶようになって、わざわざこちらがレッサーパンダと呼ばれることになってしまったというわけだ。

 「お父ちゃんは、レッサーパンダの方が好きやな」
と、父親が出し抜けに言い出した。最初は、これはタヌキやんけって文句を言ってたことも忘れて。
 だから、その身勝手さに、家族の誰もがその理由を尋ねはしなかった。
 にもかかわらず、
 「だって、今日も休まずに働いて、ほんまお父ちゃんみたいに働き者で、ええやっちゃなぁ」
と、母親からの鋭い視線が刺さりまくっているのも気にせずに、とうとう言い切ってしまった。

 おそらくだけど、いや、おそらくではなく、きっとそうに違いない。
 今日、パンダが休みだったという不運なり、あまりの運のなさは、きっとこの父親がもっているものなんだろうなと、僕らは確信した。
 確かに、この父親が東京旅行を言い出さなければ、上野動物園にだって来れなかったわけだし、レッサーパンダすら見られなかったのだ。それは、認めよう。しかし、この結末の間の悪さというか、一種の寂寥感というのは、この父親がもってるもののような気がして仕方なかった。
 もしくは、そう決めつけることで、この不運な旅を、無理矢理にでも誰かのせいにして納得するしかなかったのだ。

 以上のような、長い長い苦い経験があったがために、タロンガ動物園に着いた僕は、とりあえず、カモノハシが休みでないことを確かめずにはいられなかった。
 EventsやInformationという文字が書かれた掲示物に目を走らせたけれど、今日が『カモノハシの定休日』だなんて書いてあるものはどこにもなかった。
 なにせ、僕はまぎれもなく、あの父親のDNAを受け継いでしまっているのだ。二度あることは三度あるというなら、一度あったことは二度あるということだ。
 とにかく、僕はカモノハシのいるタロンガ動物園に無事に辿り着いた。しかも、カモノハシは休みなんかじゃない。
 次回は、きっと感動的な最終話になるだろう。乞うご期待。
 (今回は、ほんとうに、申し訳なかったです。まさか、こんな長い話になろうとは………。)

【追記】
 1981年、神戸ポートピア博覧会が開かれた。
 そして、そのときにも、中国からジャイアントパンダが貸し出された。ロンロン(メス)とサイサイ(オス)の2頭だ。
 そして、そのパンダ館という建物は、メイン会場からすこし離れた場所に建てられていた。
 僕は、17歳の高校2年生になっていて、すっかり声変りだって終えていた。
 ジャイアントパンダは、日本でもすでに周知の動物になってはいたものの、関西初のお目見えだった。
 パンダ館の入場口に並んでいると、どこからともなくおばさんたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
 「いくらなんでもこんな早くから、パンダ見に並んでる人なんか、私らだけなんちゃうん」
 僕は、その声に振り返って、微笑んだ。
 いや、僕はあなたたちより更に30分以上も早くから、ここに並んで待っている。今度こそ、絶対にジャイアントパンダを見てやるのだという、固い固い決心と、あれから5年間の思いを背負って。