深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

キミは、カモノハシを見たか?(6)

タロンガ動物園

 やっぱり、飛行機の旅と言えば、スチュワーデスさんだったりするわけです、男としては。たとえ、それが新婚旅行に出かけるための搭乗であったとしても、隣りに結婚したての新妻が座っていたとしても、それはもう男として仕方のないことなわけだったりする。
 空港でも、JALのスチュワーデスさんたちが、年功序列というか、先輩後輩をキチッとカースト化したような整然としたチームワークで歩いてたり、集まってたりして、期待が膨らんでいた。僕らが乗るのは、Qantas航空なんだから、きっとオーストラリア美人のスチュワーデスさんが…、うへっ!みたいな感じで。
 まぁ、僕もまだまだ30歳になりたてだったわけだし、若かったということだ。

 そう、『キミは、カモノハシを見たか?』シリーズの愛読者のみなさん、今回は前置きをやめて、とっととオーストラリア行きの飛行機に乗ってしまいました。長らくお待たせしましたが、これできっと、カモノハシにグッと近づいたはずだ。

 成田発ゴールドコースト行きのQantas便の機内は、さほど混んでいるわけではなかった。空席も、チラホラどころか、結構あったように思う。途中から、搭乗してくる客もいないのだから、空いている広い中央の6人掛けの席に移っても、おそらくは何も言われなかっただろう。今の僕なら、そうするであろうが、若かりしシャイな僕たちは、決められた窓際の3人掛けの席におとなしく座っていた。窓側から言うと、妻・僕・外人のおじさんの順番だ。
 今の僕なら、席を移ると思う。だって、その窓際の3人掛けの席にしても、きっちりと3人が座っているのは僕たちだけで、ほかの列の3人掛けはみんな2人で使っていたからだ。なぜ、僕たちの列の3人掛けだけが、びっちり満員なんだ?
 おそらく、生真面目な乗客が3人、たまたま揃ってしまったのだ。もしくは、世渡り下手な、融通のきかない3人が、揃ってしまった。外人のおじさんだって、新婚カップルの隣りに座っているのは、決して居心地のいいものでもないだろう。なんせ、そのまわりには、足を投げ出したり、思い切れば横になれそうなほど席が空いているのだから。
 しかし、当時の僕たちには、決められた席に、ひたすら座りつづける忍耐と諦めが、あった。今は、ないけれど。
 そうやって、僕たちは、仲良く、その列だけが窮屈な3人掛けの席で、8時間のフライトを過ごしていった。生真面目なだけでなく、シャイな僕たちは、外人のおじさんと8時間、トイレに行く時に前を通るときの、"Excuse me!"と"Thank you"以外の会話もなしに。

 そして、時間は過ぎていき、なんだか向こうのファーストクラスの席の方から、例の"Beef or Chiken?"と、問いかける声が聞こえてきた。遂に、楽しみにしていた機内食の時間になったのだ。
 空腹感は、なかった。なにせ、生まれて初めての海外旅行で、僕の神経はまだ緊張していたし、すぐ隣りに本物の外人さんがいて、尚更緊張してもいた。けれど、なにを隠そう大阪生まれ大阪育ちの僕にしてみれば、飛行機の中で食事が摂れるなんて、むっちゃお得やん、っていうのが実感だった。だって、新幹線みたいに、買わなくていいんだもん。タダで、食べていいんだもん。食べなきゃ、損でしょ。
 それに、その頃の僕には、チキンを選ぶ理由が、よく理解できなかった。牛肉か鶏肉かと聞かれたら、考えるまでもなく、牛肉しかないでしょというのが、僕の選択だった。若い男なんて、そんなもんだよね。鶏肉より牛肉、それはそれなりに、健康な男子であった証のような気もするんだけれど、健康かどうかとは関係ないんだろうか。

 狭い通路を、シルバーの重々しいワゴンを押しながら、男女ペアの客室乗務員が、徐々にこちらに向かってくる。それは、ピカピカの…とは、決して言えないような、どちらかと言えば、あちこちをどこかにぶつけまわっていて、ボコボコの…、と形容するしかないような年季の入ったワゴンだったように記憶している。
 そして、憧れの、スチュワーデス…、じゃないよね、この毛むくらじゃらの腕は、どう見ても…、 と言うか、
"Beef or Chiken?"
の、
"Beef"
ってところで、既に、太い腕が伸びてきて、前の席から引き出してきちんと待機していた僕のトレーの上に、ビーフが入っているらしい容器が乗せられた気がする。それは、最初から、「チキンなんて選ばないよな」と、言わんばかりな置き方だった。
 勿論、その偏見は間違ってはないのだけれど、生まれて初めての"Beef or Chiken?"なわけだし、一応は、それなりに答えさせてほしかったような気もするが、そもそも客の返事なんか聞いてはいないようだ。
 なぜなら、妻が、"Chiken"と答えたにもかかわらず、僕と同じ目印のついた容器を置いて立ち去ろうとしたからだ。
 "Excuse me, she said 'Chiken'"
 と、つたない英語ながらも、僕がスチュワートに抗議すると、「マジか?」という顔をして、スチュワーデスに目配せをし、彼ではなくスチュワーデスが、妻のトレーの上にチキンが入っているらしい印のついた容器を置いてくれた。それなら、僕もチキンにすれば、よかった。
 しかし、これが噂に聞いた…、いや、別にそんなに噂にはなってないけど、スチュワートってやつなのか?
 当時、日本だと、いわゆる飛行機の客室乗務員と言えば、それは女性であって、スチュワーデスというのが、一般的だったと思う。しかし、海外では、男性の客室乗務員もいて、その人たちのことは、スチュワートって言って、男性と女性で呼び方が違うから、海外に行くことがあったら、気をつけるのよ、と、O(オウ)の発音の時の唇が、必要以上に色っぽかった、中学の英語の先生が教えてくれたような気がする。
 先生、僕もやっと飛行機に乗って、海外旅行に行くんです。でも、できれば、スチュワートよりもスチュワーデスに、サーブされたかったけど。
 食べてみると、そうだろうなとは想像していたとはいえ、やはり大して期待したほどおいしいものでもないということが、身をもって理解できた。それよりも、僕ら乗客の視線も気にせずに、まかないで食べてる客室乗務員たちのガーリックパンの方が、よっぽどいい匂いがして、おいしそうだった。事前に調べた旅の本によると、オーストラリア人はガーリック好きだと書いてあった。

 そんなこんなのうちに、飛行機はケアンズに到着した。この行きの飛行機には、ケアンズでのトランジットがあったのだ。トランジットって、簡単に書いたけれど、ここで置いてきぼりにされないのかなとか、アナウンスがあっても英語だしわからないんじゃないの?とか、多少は不安でもあった。
 それでも、一旦飛行機から降りて、トランジット用の空港の広いスペースに出られて、ホッとしたのも事実だ。妻が、トイレに行っている間、僕はゆったりとした椅子に座って、左手の薬指を気にしていた。そこには、身につけ慣れていない、結婚指輪があったからだ。気がつけば、ついつい、知らず知らずに、右手でその指輪をさぐって、くるくると回している。なんだか、気になって仕方ない。
 まわりを見てみると、新婚旅行らしい男たちのほとんどが、僕と同じように慣れない指輪を気にして、それをいじっていた。ある者は、わざわざはずして、いろんな指に嵌めてはそのサイズを確かめていたり、内側に刻まれているであろう刻印を熱心に読んでいる者もいるし、指輪をした左手をとにかく結んだり開いたりを繰り返している者もいた。
 みんなが、生まれて初めて指輪をして、まだ1日か2日しか経ってないのだ。誰だって、まだまだ馴染んでなくて、慣れてなくて、気になって仕方ない。
 熱心に指輪を回していた男の姿を、やはり指輪をくるくると回しながら眺めている僕がいて、今度は逆に、僕に見られていることに気づいた男が、僕のその姿を見て、自分も指輪をいじっていることに気づいたようだった。
 どちらからともなく、僕たちは男同士で、照れ笑いのような苦笑を交換しあった。

(つづく…)キミは、カモノハシを見たか?(7)