深き海より蒼き樹々のつぶやき

Sochan Blog---深海蒼樹

『立花隆の書棚』を買う

 僕は、現在、本屋と呼べるような本屋が、自宅から半径30km圏内にないようなところに住んでいる。
 まともなと言うか、そこそこな本が揃った本屋には、車で40分以上のドライブを楽しんでからでないと辿り着けない。

 しかし、それは、近所にある、電気製品から生活雑貨、化粧品や衣服や食品やゲームや本やCDとなんでもあるけれど、それは同時に何もないことにも等しいような、田舎の何でも屋の店で、見つけた。
 立花隆の『立花隆の書棚』という、立花隆の全書棚を撮影し、記録した本だ。

 帯には、「圧倒的な知の世界」と、いかにも立花隆の本にありがちな宣伝文句が踊っていた。
 随分前に、マスコミは立花隆を『知の巨人』と評して、もちあげていた時期があった。マスコミ自身が、立花に痛烈に批判され、立花から一編の信頼も勝ち取れていないことは一切意に介せず、ここぞとばかりに立花隆を祭り上げ、立花隆の名のつくものは売れるという話をでっち上げて、本当の話にまで育て上げ、一定の販売目標をクリアーしたようだった。

 650ページにも及ぶ分厚い本は、いい感じにずんぐりと、何でも屋の本棚の前に一冊だけ並べられていた。そう言えば、立花自身も、決してスマートではなくて、こんな風にずんぐりしてたっけと、彼の若かりし頃を思い出すと同時に、その本の趣きが、どこか聖書のあの分厚くずんぐりとした感じに似ているかもしれないことに思い至った。
 その本に手を伸ばして、もちあげてみると、妙にしっくりとそれは馴染んだ。僕はこういうとき、梶井基次郎の『檸檬』という小説を思い出す。手のひらに包んだ檸檬の重さが、妙にしっくりと梶井の手に馴染んだように、『立花隆の書棚』という分厚い本は、僕の手に持ち上げられた瞬間、その手に馴染んだ。
 価格は、3150円。決して、安い買い物ではない。言ってしまえば、他人の単なる書棚の写真だ。ほんとうに買う必要があるのか? ここのところ、本を買うことにかなり慎重派である僕は、それでもいつも通りに自問自答してみた。
 考えるまでもなく、答えはでた。
 これは、買いだ。理屈ではなく、これは、買ってもっておこう。

 おそらく、ここでグダグダと書くまでもなく、僕はその本を見つけた瞬間に、買うことを決めていたはずだ。
 その本を見つけたときの、一番の感想は、 
「あぁ、やっと出たんだ」
というものだった。
 昔々、どこかで、立花隆はこのような本を出して記録しておきたいと言ってたような気がする。
 そして、この本は、僕が買った、久しぶりの立花隆の本である。

  • 『宇宙からの帰還』(1983年)
  • 脳死』(1986年)
  • 『サル学の現在』(1991年)
 僕が、お勧めする立花隆の著書は以上の3冊だ。
 お勧めするというのは、僕の好きな本だということだ。しかし、時には、この本を読んでいて、立花隆の独特の人を見下した言いように、あなたは腹を立てるかもしれない。そうだとしても、いちいちそれに腹を立てたり反論することで、あなたは立花隆と同じ土俵に降りていく必要はない。
 なぜなら、立花隆は、自分の懇切丁寧な説明に対して他人がわからないと答えると、ひどく腹を立てる動物なのだ。自分の説明が下手だとは考えずに、理解できないヤツがどうしようもないバカだと結論づけることで、彼は、自分自身を保っている。
 言っておくけれど、立花隆は、決して人格者ではない。時に、自分の間違いを認める勇気ある人でもあるのだけれど、僕は、彼が人格者だと思ったことはないし、そんなつまらないものに彼がなる必要もないと思っている。

 僕が、立花隆を人格者ではないけれど、いいヤツだと思ったきっかけは、ずっとずっと昔、ロッキード事件がまだ話題になっていた頃、とある番組で、渡部恒三氏か誰かに、
「キミはこのロッキード事件のおかげで、さぞ有名になって儲かってよかったじゃないか。ロッキード事件さまさまだろう」
みたいなことを言われ、
「バカを言っては困る。ロッキード事件がなければ、僕は、もっとほかのいい仕事に取り組めていたのに。くだらないものに巻き込まれて大損だ」
と、怒気を含みながらも真摯に答えた、あの時が、決定的だったように思う。

 立花隆が、癌に苦しめられ、癌と闘っていることを、僕はまったく知らないわけではない。
 ただ、かれこれ20年以上、僕は立花隆のいい著作に出会えていない。
 「もう時間は限られている。これから先、いくつの仕事や本をものにできるのだろう」
と、立花隆は、ずいぶん前から、自分の残り時間について意識的であったはずなのにだ。

 一方的な言い方だけれど(それ以外にどんな言い方があるというのだ)、この、『立花隆の書棚』という本が、あなたの最後の仕事だなんてことを、僕は許さない。
 あなたの言う、『もっとほかのいい仕事』を、僕は心底待っている。