連日というわけではないけれど、今日もまた真夜中3時過ぎに目を覚ました。眠ったのは夜中過ぎだったので3時間足らずの睡眠だ。十分な睡眠時間とは言えない。もう一度眠りにつこうかと理性的なぼくの一部は考える。そして今日は理性的ではないぼくの一部が起きることを選択した。台所でインスタントのあたたかい飲み物を用意して戻り、ワイヤレスイヤホンを耳に装着して古いiPadを起動する。物音に反応したのか、隣室で眠る妻の大きな寝返りが聞こえてくる。
若い頃、特に時間がたっぷりあった学生の頃なら、こんな勝手気ままな振る舞いが当たり前だった。自分で金を稼いでもないのに、家の中で傍若無人に好き勝手に過ごしていた。それが傍若無人だとは微塵も思わずに。
けれど、いまぼくは60歳を過ぎている。加齢によって早起きになったとは言え、定年退職後も勤めているわけで、決して起き出して何かをはじめていいような時刻ではない。なのにぼくはこうして隣室に一応は気を使いながらもキーボードを叩いている。まったくもって厄介だろうなと、妻の立場に立って思いもする。
すでに映画化もされたものの脚本を娘が書いていると知ったとき、彼女と父娘になって30年足らずのあいだでもっとも「血」を意識した。そして暗い部屋のなか、そこだけ明るいモニタを見ながらキーボードを叩く娘の姿が思い浮かんで、ぼくの心臓を鷲掴みにした。
もう少しすれば夜が明けていく。こんな夜を数えきれないほど越えてきて、こんな朝を数えきれないほど迎えてきた。だからなんだってことなんだけど、いつまでこんなことを繰り返すんだろう。そんなことを思ったということが、終わりの予兆であるような気もするし、この先がどれだけあるかわからないけれど、ずっとこんな暮らしをつづけていくような気もする。
2024年10月9日午前5時すぎ。ぼくはこんなふうに生きている。