スコットとの恋
婚約
ゼルダとスコットは、スコットの除隊を機に婚約をした。1919年、2月のことだった。
スコットはニューヨークに赴き、広告代理店のコピーライターとして働きはじめる。
その当時の、広告代理店ってどんなもんだったんだろう? 現代の僕たちは、広告代理店だとか、コピーライターなんていう言葉に容易に想像を巡らせることができるけれど、その当時の広告代理店とやらや、コピーライターという職業が、現代のように一種華々しく独特の想像をかき立てるような職業だったのかどうかは、わからない。
しかしながら、それほどに経済的に裕福な職業だとは考えられていなかったのかもしれない。
なぜなら、ゼルダは、スコットの経済力に疑問を抱いて、一旦は、婚約を解消したからだ。もしくは、南部の名家に生まれ育ってなんの経済的苦労もなく育ったゼルダやその家族からすると、コピーライターという職業はちっぽけで意味不明な職業だったのかもしれない。少なくとも、ゼルダの父や兄たちのような、裁判官や政治家といった職業からすれば、それはまったくもって評価しづらい職業であったし、将来性をどう評価していいのかもわからなかったと思われる。
『楽園のこちら側』
ゼルダに婚約破棄されてしまったスコットは、仕事も辞め、故郷のセントポールに帰り、『ロマンティック・エゴティスト』(のちに、『楽園のこちら側』に改題)の推敲に集中する。
アラバマ州モンゴメリーのダンスパーティーで、スコットが言った、
僕は今小説を書いているのだけれど、この先僕はそれでとても有名になるんだよという台詞は、婚約とその婚約破棄の段階では、まだ現実のものとはなっていなかった。
勿論、あのダンスパーティーの夜、スコットが根も葉もないデタラメや、嘘を言っていたわけではない。彼は、キャンプ・シェルダンでの訓練の合間を縫って小説を書き、その作品を送った出版社から高い評価を得ていた。ただし、まだ出版の契約が交わされているわけではなかった。
ここで、ひとつ覚えておいてほしいのは、スコットがゼルダを好きになったのは、彼が成功する前の話だったってことだ。
彼は、ゼルダを手に入れたくて、そのためには自分が放った言葉通りに、小説を書いて有名になるしかないと、そう思っていたはずだ。世間の高い評価と成功が、メイヤー家の立派な人々やゼルダをも、この結婚の承認にむかわせるだろう、と。
スコットは、推敲に推敲を重ねた『ロマンティック・エゴティスト』をスクリブナー社に再度送り、出版の契約を勝ち取る。それと共に、婚約破棄が破棄され、彼らはまた結婚にむかって歩みはじめる。
ゼルダの気持がどう動いていったのか、僕には想像もできない。
ただただ、年譜的に書くと、1920年、3月『ロマンティック・エゴティスト』は、『楽園のこちら側』というタイトルになって、スクリブナー社から出版された。そして、その作品は、全米のベストセラー上位にランクインする。
もしも、婚約破棄がなければ、スコットは、わざわざニューヨークでの職を辞してまで、小説の推敲に没頭することはなかったのだろうか?
彼は、成功を求めていた。それも、できれば、若くして成功することを求めていた。でも、考えてみれば、それは彼でなくったって、そうだ。誰もが若くして成功することを夢見ている。
そして、スコットは誰もが夢見たように、若くして小説家として成功する。そうだ、彼は、成功と、小説家になるということの、両方を同時に手に入れることになるのだ。しかも、若くして、デビュー作で、ベストセラー作家。
そして、翌月の4月に、二人は結婚した。
そうだ、スコットは、すべてを手に入れた。
(つづく…)
ゼルダ・フィッツジェラルドについて(4)