僕ら1960年代生まれは、所謂、野球世代と呼んでいいんだろうな。『巨人の星』とか、『侍ジャイアンツ』とか、野球漫画全盛期がドンピシャな世代だし。
漫画だけでなく現実の生活でも、アニメの「ドラえもん」や「サザエさん」に出てきそうな空き地が家の近所にあって、空き地があればみんなが集まって、野球やソフトボールが始まる。
男子のほとんど誰もが自分のグローブを持ち、思い思いの方法でグローブに型をつけ、柔らかくして、それを自慢しあったし、父と息子は、場所と時間を見つけては、やたらとあちこちでキャッチボールをしていた。
で、三振なんだけど、野球の基本的な構図は、まずピッチャー対バッターなわけです。よく言われるように、野球は、まずピッチャーがボールを投げなければ始まらない。そうそう、だからプレイボールなわけです。
で、で、ホームランとかヒットっていうのは、バッターの勝ちなわけで、送りバントとかヒットエンドラン併殺くずれとか、一概に判断しにくいものはおいといて、センターフライとかサードゴロとか三振とかアウトになるものは、ピッチャーの勝ちなわけです。
ホームラン→バッターの大勝利→マウンドにひざまづき、がっくり肩を落とすピッチャー
三振→ピッチャーの大勝利→バットをへし折って悔しがるバッター
アニメや漫画にかぎらず、プロ野球ニュースなんかでもこういう場面がよく出てくる。
そんでもって、バッターの立場に立って、やっぱり三振ってしたくないよなと、思うわけ。しかも、空振りして思いっきり体のバランスを崩してる姿をさらけだした、「空振り三振」なんて、正直ヒットも打てなくてアウトになって恥ずかしいのに、三振な上に不格好に空振り三振なんて…って感じ。
昔は、外人は、初球のストライクから、「何も考えずに」打ちにいくなんて、あきれたようによく言われてたんだけど、今では、いい球がきたら(打ちやすそうな球がきたら)、「積極的に」打てっていうことになってきてるみたい。
だってせっかく、初球とは言え、ホームランを打ってくださいとばかりの、打ちやすそうな球がきてるのに、それを初球だからという理由で奥ゆかしく見送って、次にくる難しい変化球を打ちにいって内野ゴロになるよりも、どうせ打つならやさしい初球だよな、ってことになってきたんだね。
初球がやさしい球だったんで、次にくる球はもっと打ちやすい球がくるっていう法則も保証も、成り立たないわけだ。
つまりは、時代とともに、「何も考えずに」っていう評価が、「積極的」っていう評価に、変わった。(勿論、好球必打っていう言葉もあったけど、初球とか最初のストライクから打ちにいくやつは、どちらかと言えば、お調子者というか落ち着きのない者っていうイメージが、どうしてもつきやすかった)
僕は、お調子者の汚名を着たくないので、初球のストライクはどんなに打ちやすい球でも、「野球道」的に見逃し(だって、それは「礼儀」みたいなもんに近かったんで)、かと言って、みんなが見ている前で三振はしたくないので、2球目のストライクは必ず打ちにいく。
それが、多少、難しい球であっても。
だって、バットを1回しか振らないよりは、2回振った方がバットに当たる可能性は高いはず。つまりは、三振が怖いなら初球から打ちにいって、少なくとも3回はバットを振っていいわけだし、そのうち1回バットに当ててファウルじゃなく前に飛ばせば、三振はまぬがれるわけ。
そうだ、要は、三振をしたくなかったんだ。
今思うと、なんと志(こころざし)の低いことか。ヒットを打ってやるとか、ホームランを打ってやるという野心もありではあったが、心の奥底にあった行動原理の基礎は、みんなが見てる前で、特にクラスメイトの可愛いあの娘の前では、三振なんてぶざまな姿は見せたくないということだったのだ。
確かに、三振なんかしたくないから、頑張って打ちにいく。
人前で三振なんかしたくないから、日頃から練習に励む。
それはそれで、いいことでもあるんだろうけど、今思うと、ひどくもったいないことをしてきたな、と。
今なら、三振しようが、空振り三振しようが、どの球もホームラン狙っていけばよかったな、なんて思うんだよね。一応は、どの打席も、少なくともヒットを打つぞっていう気持で打席に入ってはいたけど。
もっと正直に言うと、人前で「三振」するのが「恥ずかしかった」んだよね。
プロ野球の選手が、何万人もの前で三振する姿を見ても、「恥ずかしい!!」って、思うタイプだった。
でも、「三振」することを恥ずかしいと思ってる自分がイヤになってきたし、他人の「三振」まで恥ずかしいと断ずる自分はもっとイヤになってきた。
いいじゃん、三振くらい。三振が怖くて、野球ができるか。
ヘロヘロのピッチャーゴロも、相手のエラーを期待できる分、確かに三振よりはマシなのかもしれないけど、三振にビビリまくって当てにいくよりも、ホームランを信じて振り切った方が、よくない?
たとえ、球に当たらなくて、三振しても。
要約
実は、三振は怖くない→空振り三振も、恥ずかしくない。
但し、練習などの日々の努力は怠らないこと。
但し、見送り三振は、恥ずかしいとは別の意味で、機会を逃してる感じもするので、できれば振って三振しよう。