先日、ソーシャルで知り合った友人から、お土産として、シャープペンシルをもらった。
こんなやつだ。
かっこいいでしょ? これは、銀座にある文房具屋さんの、伊東屋さんのヘルベチカというシャープペンシルである。
色は、たまたま赤になった。ほかにも、白、黒、グレーのものがあるようだ。
ご興味のある方は、こちら⇒伊東屋オンラインストア
伊東屋さんのシャープペンシルランキングで、只今、堂々の3位である。 お値段は、630円。(ともに、2014年1月6日現在)
更に付け加えると、シャープペンシルランキング10位中、ダントツの安さでもある。ほかは、みな1,000円を越えていて、第2位のロメオなんていうロマンチックな名前のメーカーのシャープペンシルの値段は、なんと7,350円だ。
何にお金をかけるかは人それぞれだけれど、最早、シャーペンと呼べないような貫禄ある価格であるように、僕には思える。ちなみに、僕が愛用しているクルトガのスタンダードモデルは、450円だ。
クルトガが気に入ったのは、まさしく、芯がいつでも尖っていてくれるからだ。
学生時代、シャーペンの芯の偏減りが、すごく気になってイヤだった。時々、尖り過ぎた芯の先が、ノートの繊維に引っかかるような感じも、イヤだった。
文具店で、このシャーペンを初めて見たときには、そんなうまいこといつも最適な尖りをキープできるものなのかと半信半疑だったけれど、「あぁ、やっぱり、みんな芯の偏減りが気に食わないと感じていたんだ」ということを知って、少し安心したものだった。
クルトガがなかった学生時代、僕は、何度も何度も偏減りした芯の向きを換えるために、シャーペンをくるくる回して持ち替えていた。
まさしく、手動クルトガ状態だったわけだし、そんなものが自動化されるなんて、夢にも考えていなかった。
しかし、使ってみると、ほんとうに芯がいつも頃合いに尖っていてくれるのだ。おかげで、僕は、書きながらシャーペンの軸を持ち換える必要がなくなった。
それにしても、そんなにうまいこといつもいつもずっと均等になるものなんだろうか? という疑念は払拭しきれず、僕は、長く使っているうちに、ある時点では偏減りが生じるだろうなと、予測していた。
そして、見事に、僕の予想ははずれて、最後まで偏減りもなく、芯は使い切られていった。
さすが、自動芯回転機構"クルトガエンジン"
僕は既に学生ではなくて、先生が書いたり、読み上げるものを筆記する場面はなくなった。仕事でも、シャーペンを使ってはいるけれど、それほどひっきりなしに必要としているわけではない。
しかし、クルトガは、素晴らしかった。何度も言うけれど、書きながら何度も何度もシャーペンの軸を自分で回さなくてはならないというストレスから、このクルトガは僕を解放してくれたのだ。
こんなに素晴らしいシャーペンなのに、僕自身は、あまり使う機会がないのが口惜しくて、僕は、頼まれてもいないのに、娘のために2本買ってプレゼントした。
勿論、娘もすぐに気に入ってくれて、「書きながら自分でくるくる回さなくていいから、これ、楽だよね」と、喜んでくれた。
さすがに、我が娘。同じように、感じていたんだ。
僕が使っているクルトガの芯は、0.5mmだ。所謂、シャーペンのスタンダードな芯の太さというのは、0.5mmということで異論はないだろうと思う。
僕らが小学生の頃は、0.9mmの太めのシャーペンから使いはじめるのが、習わしだった。鉛筆ですらその芯をポキポキ折ってしまう小学生のデリカシーでは、いきなり0.5mmのシャーペンは無謀だ。いくら替芯があっても足りない。それ以前に、ボキボキ折れてばかりでは、全然文字が書き進まない。
でも、ちょっと大人びた感じで、シャーペンを使ってみたい。使えるようになりたい、というわけで、0.9mmのシャーペンは、僕らにとっては入門用、もしくは、初心者御用達であり、登竜門でもあったわけだ。
同級生のなかには、0.3mm使えるものね、私、みたいな小生意気な女子も出てきた。しかし、0.3mmは、線が細すぎてなんだか弱々しい文字になってしまうということで、僕ら男子からは不評だったし、男子が0.3mmなんか使おうものなら、なんだか今で言う『オネエ系』だとして、冷やかされたものだった。
そして、0.9mmからいつまでも卒業できないでいる者も、おいおい、ずっと子供やってるつもりかよ、って目で見られたものだ。
と、そんなことを思い出していたら、ところで、芯の太さって、なんだろう?なんてことを、ふと思ったわけだ。
いや、僕の言い方が、たぶん悪い気はする。
どう言えばいいだろう?
さっきも書いたように、0.3mmの芯よりも、0.9mmの芯の方が折れにくくて、丈夫だ。それは、経験的にもよくわかっている。
けれど、今回、この2.0mmのシャーペンをもらって、気づいたことがある。
このシャーペンは、削らないと、使えない。
大人になってから、僕は、0.5mm以外のシャーペンを使ったことがない。たまたま、職場で手にしたシャーペンが0.9mmだったことは、何度かあった。そして、それに気づかず書きはじめてはすぐに、なんだこれ? これじゃあ、書けないよ、と、そのシャーペンを放り出していた。
そうだ、0.9mmは、太すぎて書きにくいのだ。
しかし、今回もらった2.0mmは、初めてノートに文字を書いた時、その書きやすさに驚いた。
もっと、太い文字になると思っていたのに、意外と細い文字が書けたのだ。それも、すらすらと滑らかに。
残念ながら、クルトガのように芯の先がくるくる回るはずはないので、書きながら自分で回さないといけないかなと思っていたのだけれど、なんて言うか、そんな程度では到底芯の尖りを維持できない。芯の先は、みるみる丸まっていき、最早、画数の多い文字でなくても書くのが不可能なくらい、まとめれば、大人が書くまともな文字は到底書けないくらい太くなってしまっている。
ということは、鉛筆と同じく、削らないといけないということだ。
これをくれたマリちゃんも、確かに、そう言っていた。
もしも、僕が器用な人間なら、鉛筆をきれいに小刀やカッターで削れる人間なら、よかったのだけれど。
残念ながら、僕はそんな器用さからは遠く見放されて生きてきた人間だ。ハサミだって、うまく使えないし、鶴が折れるようになったのは、かなり大きくなってからだった。弁解させてもらえるなら、折り方が覚えられなかったわけではない。きちんと折れないから、折れないのだ。
なので、自分で削れるはずはなく、最初に、鉛筆削りを探した。電動とか、大きなものではなくて、筆箱にそっと入れておけるような、簡単な鉛筆削りだ。
こんな感じの。
で、早速見つけたものを3つばかり試したけれど(はい?文房具好きなんで、探したらいきなり3つも見つかってしまった)、2mmだし、鉛筆と同じだろうしって思ったけど、予想以上に削れない。
ひょっとしたら、削れるのかもしれない。それは、鉛筆削りの名誉のためにも言っておこう。
しかし、僕の器用さでは、削れなかったと、正確に言い直しておこう。
なので、せっかくもらって愛用しようとしていたのに、いきなり芯の先が丸まってしまって、使えなくなってしまった。
これは、全然よくない。
こんなにかっこよくて、書き味もよくて、お気に入りなのに、芯が削れなくて使えないなんて、口惜しすぎる。
というわけで、色々と調べたところ、芯削りなるものが、世の中にはあるらしい。
基本的には、製図用の鉛筆を削るためのものがあるようだけれど、僕は、そんな大層なものが欲しいわけでもない。
僕の調べ方が悪かったのか、シャーペンの芯を削ることで悩んでる人が、思いのほか、圧倒的に少ないような気がしたんだけれど、みんなは器用に自分で削れているのだろうか?
とにかく、僕は自力では削れないのだから、なんとかしなければ。と、調べをつづけたところ、ありました。
2.0mmシャープペンシルの先駆けと言えば、大人の鉛筆。
芯削りにまで、『大人の』ってつける必要があるのかは、多少疑問ではあるけれど、やっぱり、これがなければ不便でしょう。そんなに、世の中、器用な人ばかりじゃないはずだ。
しかも、150円だった。
不器用な人間にとっては、ありがたい値段だと思う。感謝の意味も込めて、芯削りだけを買うのではなく、芯削り付きの、大人の鉛筆+芯削りセットを買ってしまった。
文具屋のきれいなお姉さんにも、同じ2.0mmの芯なら、ほかのメーカーのシャーペンでも大丈夫ですよね?と、確認もした。
きれいなお姉さんの答えは、たぶん、大丈夫でしょう、という曖昧なものだったけれど、確かに、大丈夫だった。買って帰ってさっそく削ったところ、うまくいった。
正直に言うと、最初からうまくいったわけではないけれど、ぐりぐりしているうちに、なんとか芯がいい具合に削れた。
あっ、そうだ。だから、芯の太さについてだ。
鉛筆でもそうだけれど、結局、削って使うよね、ってことなんだ。
おそらく、今回も、僕の言い方が悪い気がする。
たとえば、2.0mmのシャーペンの芯を削って尖らしたものは、0.5mmのシャーペンの芯の先と同じ尖り具合ではないのだろうか?
と、思ったわけだ。
芯そのものは、確かに、2.0mmだったり、0.9mmだったり、0.5mmかもしれないし、鉛筆の芯であるかもしれないけれど、実際に文字を書くその筆先の細さは同じではないんだろうか?
と、同じではないのかもしれないと思いながらも、ふと、思ったのだ。
結局のところ、芯の先を尖らせるのであれば、0.9mmや2.0mmである必要はないんだろうか?
なんて、思いながらも、これからは2.0mmを使うことになるような気がする。
使いたいのだ。
あとは、芯を削る面倒を、面倒だと思わずにできるかどうかだけれど。
実は、僕は、不器用なだけではなく、ひどく面倒くさがり屋でもあるのだ。こんなに面倒くさい文章を長々と書く割には。